Beyond the Exit, Something Still Remains
外に出たと思った。
けれど、
出た先も、
まだ中だった。
それでも、
何かが変わった気がした。
世界が仮想かもしれない、という話は、
もう珍しくありません。
けれど、
それを知ったあと、
私たちはどう生きているのでしょうか。
この文章では、
「外に出たと思った経験」が、
なぜ人の感覚を揺らすのかを、
物語という切り口から辿ってみます。
外に出た、という感覚
人はときどき、
世界の裏側を見たような気になる。
これまで信じていた前提が、
一気に崩れる。
現実だと思っていたものが、
作られたものだったかもしれないと知る。
その瞬間、
「外に出た」ような感覚が生まれる。
目が覚めた。
真実を知った。
騙されていたことに気づいた。
けれど、
しばらくすると、
奇妙な違和感が残る。
本当に、外に出たのだろうか。
物語が世界をひっくり返すとき
強い物語は、
単に面白いだけではない。
それまで当たり前だった世界の見え方を、
根こそぎ揺らす。
現実だと思っていたものが、
仮想かもしれない。
自分だと思っていたものが、
役割かもしれない。
そうした物語に触れたあと、
世界は元には戻らない。
ただし、
完全に壊れるわけでもない。
人は、
疑いながらも、
その世界を生き続ける。
仮想かどうかは、もう重要ではない
世界が本物かどうか。
それが仮想かどうか。
それ自体は、
決定的な問題ではない。
なぜなら、
どんな世界であっても、
私たちはそこから
外に出られないからだ。
外に出たと思ったとしても、
その「外」を
感じているのは、
やはり脳であり、
身体であり、
この感覚の内側だ。
疑うことはできる。
考えることもできる。
けれど、
生きる場所だけは、
変えられない。
それでも、戻ってこられる場所
では、
何も信じられなくなったとき、
人はどこに戻るのか。
戻るのは、
「正しさ」ではない。
「真実」でもない。
戻るのは、
感じ。
身体。
関係。
日常。
驚きが沈み、
感じが鈍り、
それでもまた、
ふとした瞬間に
何かが立ち上がる。
世界が仮想でも、
物語でも、
構造でも。
戻ってこられる場所がある限り、
人は生き直せる。
外に出たと思ったその先で、
私はまた、
感じていた。
本物かどうかは、
分からない。
それでも、
戻れる場所があるなら、
生きていける。
外に出たと思っても、
まだ、ここにいる感じが残ることがある。
