しなやかに、自分の律で生きるための実践知メディア

律|深める #3|歪みとして現れる、律の場所

─ 守れなくなったときに、何が起きているか

律は、
守るためにあるのではない。

破られたとき、
どこで歪むかを、
教えてくれるためにある。


律は、規則ではありません。
正しさを保証するものでもありません。

それでも、律を忘れたまま進み続けると、
どこかに無理が溜まり、
いずれ歪みとして現れます。

この記事では、
律が守れなくなったときに、
どこで歪みが現れやすいのかを、
構造として整理してみます。

律は、破られる前提でできている

律は、常に保てるものではありません。
忙しさや責任、成果や評価が重なると、
律は簡単に後ろへ回されます。

問題は、律が破られることそのものではありません。
破られた状態が続き、
それが「普通」になってしまうことです。

歪みは、突然起きるのではなく、
気づかないうちに少しずつ常態化していきます。

歪みが現れやすい、いくつかの場所

1. 決断が、早くなりすぎる

迷う時間を無駄だと感じ、
違和感よりも前進感を優先するようになります。

決めているようで、
実際には切り捨てているだけのこともあります。

2. 説明が、増えすぎる

分かりやすさを重視するあまり、
意味よりも納得を取りにいく場面が増えます。

説明できることが増える一方で、
説明できない感覚が後回しになります。

3. 形が、先に立つ

まだ熟していないものに、
早く構造や名前を与えたくなります。

形は助けにもなりますが、
早すぎると動きを止めてしまうことがあります。

4. 疲れが、進んでいる感覚で隠れる

忙しく、手応えもある。
けれど、回復していない。

進んでいるのに戻れない感覚は、
歪みが溜まり始めている合図かもしれません。

歪みは「間違い」ではなく、合図

歪みは、失敗ではありません。
律を忘れていることを知らせる通知のようなものです。

戻る場所が分かっていれば、
歪みは修正点として扱うことができます。

律は、守るためのものではなく、
戻るための基準点として機能します。

整えは、ここから始まる

整えるために、
行動を足す必要はありません。

正解を探す前に、
まず歪みを悪いものにしないこと。
そこから整えは始まります。

整えるとは、
進むことではなく、
無理をやめることです。


律は、
常に守るものではない。

けれど、
いつでも戻れる場所として、
置いておくことはできる。

戻れる場所がある限り、
歪みは、深刻になりすぎない。

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Shingo Takenaka

Shingo Takenaka

しなやかな律を探る実践者|APLF主宰

北海道・苫小牧市に生まれ育つ。東京大学大学院を修了後、外資系テック企業で働きながら起業。 現在は、人・もの・自然をつなぐ活動を軸に、自己の律と他者との共生を探求しています。 APLFでは「自分らしく、しなやかに生きる」ための実践知を静かに発信し、日々の整えから人生の投資と回収まで、思考と行動を重ねながら日常の美しさを見つけ続けています。

  1. 0の側に触れた夜— 向きが変わっていたことについての記録

  2. 静かな呼吸としてのAPLF─ 強い言葉を使わない、という選択について

  3. 世界と距離を取るという、生き方 ─ ここにいながら、巻き込まれすぎない

このメディアをつくっている人

Shingo Takenaka

APLF主宰

しなやかに、自分の律で生きる
人と自然、もののめぐりを見つめながら
東大院|外資テック|起業10年

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去年の旭山で。

何をしているのかは、よく分からない。
でも、ずっと見ていられた。
.
光の向きで、部屋の表情が変わる。
ゆっくりと火の季節になってきた。
.
ひとりで歩く夜でも、
どこかで誰かとつながっている気がする。

看板の灯りや、店に流れる小さな気配が、
そっとこちらの歩幅を整えてくれる。

この街の夜にも、静かなやさしさがある。

日々、誰かや何かとの出会いがあって、
それが過剰な意味を持たなくてもいい。
気負いすぎず、気負わなすぎず、
ただ今日を歩いていけばいい。
.
失われていくものには、静かな美しさがある。

街も、人も、建物も、生きているように変わっていく。
生まれ、育ち、そして少しずつ朽ちていく。

その流れは止められない。
だからこそ、心が動くのだと思う。

かつて誰かが暮らし、笑い、
生活の音があったはずの場所に立つと、
そこに残る “気配” に触れることがある。

完全には戻らないもの。
もう取り戻せない時間。

その不可逆さが、優しさや懐かしさを生む。

失われるからこそ、
大切にしようと思えるし、
誰かに優しくなれたり、
いまを丁寧に味わえるようになったりする。

衰えることは、ただのマイナスではない。
そこから新しい命や文化が生まれ、
誰かが受け継ぎ、形を変えながら残っていく。

すべてが永遠に続く世界より、
終わりがある世界のほうが、きっと美しい。

生命も、街も、建物も、
変わっていくことで息をしている。

その無常を抱きしめながら、
今日をちゃんと生きていきたい。

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