律は、
守るためにあるのではない。
破られたとき、
どこで歪むかを、
教えてくれるためにある。
律は、規則ではありません。
正しさを保証するものでもありません。
それでも、律を忘れたまま進み続けると、
どこかに無理が溜まり、
いずれ歪みとして現れます。
この記事では、
律が守れなくなったときに、
どこで歪みが現れやすいのかを、
構造として整理してみます。
律は、破られる前提でできている
律は、常に保てるものではありません。
忙しさや責任、成果や評価が重なると、
律は簡単に後ろへ回されます。
問題は、律が破られることそのものではありません。
破られた状態が続き、
それが「普通」になってしまうことです。
歪みは、突然起きるのではなく、
気づかないうちに少しずつ常態化していきます。
歪みが現れやすい、いくつかの場所
1. 決断が、早くなりすぎる
迷う時間を無駄だと感じ、
違和感よりも前進感を優先するようになります。
決めているようで、
実際には切り捨てているだけのこともあります。
2. 説明が、増えすぎる
分かりやすさを重視するあまり、
意味よりも納得を取りにいく場面が増えます。
説明できることが増える一方で、
説明できない感覚が後回しになります。
3. 形が、先に立つ
まだ熟していないものに、
早く構造や名前を与えたくなります。
形は助けにもなりますが、
早すぎると動きを止めてしまうことがあります。
4. 疲れが、進んでいる感覚で隠れる
忙しく、手応えもある。
けれど、回復していない。
進んでいるのに戻れない感覚は、
歪みが溜まり始めている合図かもしれません。
歪みは「間違い」ではなく、合図
歪みは、失敗ではありません。
律を忘れていることを知らせる通知のようなものです。
戻る場所が分かっていれば、
歪みは修正点として扱うことができます。
律は、守るためのものではなく、
戻るための基準点として機能します。
整えは、ここから始まる
整えるために、
行動を足す必要はありません。
正解を探す前に、
まず歪みを悪いものにしないこと。
そこから整えは始まります。
整えるとは、
進むことではなく、
無理をやめることです。
律は、
常に守るものではない。
けれど、
いつでも戻れる場所として、
置いておくことはできる。
戻れる場所がある限り、
歪みは、深刻になりすぎない。
