A System That Learns in Between
うまく動かすのではなく、
うまく馴染んでいく。
どちらかが正しくなるのではなく、
あいだが育っていく。
主体は、
いつも、
関係の側にある。
この文章は、
技術の解説のためのものではありません。
人と仕組みが、
互いに変わり続けることで成立する場所。
相互機械適応系という考え方
大学院時代、医療福祉機械やサイボーグ技術に関わる研究の中で、「相互機械適応系」という言葉に触れていた。
たとえば筋電義手の研究では、義手側が人間の筋電信号を学習するだけでは不十分だった。
人は、どう筋肉を動かせば義手が動くのかを学ぶ。
義手は、その人固有の信号パターンを学習する。
どちらか一方が完成しても、システムは成立しない。
人と機械が、互いに変わり続けることで、はじめて機能する。
そこには「正しい操作方法」も「完成形」も存在しない。
あるのは、関係の中で育っていく振る舞いだけだった。
主体が存在しないシステム
この構造は、APLFで起きていることとよく似ている。
僕が体験し、書く。
誰かが読み、反応する。
その反応によって、僕の理解が変わる。
そして、構造や問いが少しずつ更新される。
ここには「すべてを設計している主体」も、「正解を与える立場」もいない。
あるのは、関係そのものが学習している状態だ。
対話もまた、相互適応する
この相互適応は、APLFと読者のあいだだけに起きているわけではない。
問いを投げ、応答が返り、その応答によって問いの形が変わる。
対話を重ねるほど、言葉の解像度や問いの深さが変わっていく。
ここでもまた、主体はどちらか一方ではなく、関係そのものにある。
完成しないことの強さ
相互機械適応系では、「完成」はむしろシステムを止めてしまう。
固定された操作方法や最適解が生まれた瞬間、変化に適応できなくなる。
APLFが完成を目指していないのも、未熟だからではない。
関係の中で変わり続けることを、あらかじめ前提にしているからだ。
生きているシステムとして
人も、仕組みも、言葉も、単体では完結しない。
関わり、ズレ、調整し続けることで、はじめて「使えるもの」「生きているもの」になる。
APLFは、コンテンツの集合体ではなく、相互に適応し続ける関係の場として存在している。
だからここにも、完成形はない。
あるのは、問いが更新され続ける余地と、関係が変わり続ける余白だけだ。
正解がないのではなく、
正解が固定できない。
だから、
関係は学び続ける。
どちらかが進むのではなく、
あいだが進む。
そして、
互いに変わることが、
生きる条件になる。
