しなやかに、自分の律で生きるための実践知メディア

驚き

体験は、説明の前に起きる

─ 常連になる、という入口について

説明すれば、
分かってもらえるとは限らない。

けれど、
体験してしまえば、
分かってしまうことがあります。


何か新しいことを始めるとき、
私たちはつい、
「どうやるか」を説明しようとします。

手順を整理し、
注意点を伝え、
失敗しない方法を示す。

それは、とても誠実な姿勢です。

けれど実際には、
説明だけでは越えられないハードルが、
たしかに存在します。

「なり方」以前に、「像」がない

たとえば、
「店の常連になる」という話があります。

方法論として語ることはできます。

  • 通う頻度
  • 店の人との距離感
  • 会話のきっかけ

けれど、
それ以前の段階で、
そもそも「なりたい姿」が浮かばない、
という人も少なくありません。

常連になりたいような店とは、
どんな空気なのか。
どんな時間が流れているのか。

そのイメージが持てないまま、
方法だけを聞いても、
行動にはつながりにくいものです。

見えないハードルの正体

実際に話題に上がったのは、
新しい店に行くことに対する、
いくつかのハードルでした。

  • 一人で行くこと自体はできるが、何を話せばいいかわからない
  • 常連客に話しかけるのは、かなりハードルが高い
  • そもそも「常連になって良かった」という成功体験がない
  • お酒や食の知識が乏しく、会話が広がらない気がする
  • 味覚に自信がなく、「美味しい」以上の言葉が出てこない
  • 行くまでが面倒で、その壁を越えられる感覚がない

どれも、
能力の問題ではありません。

むしろ、
体験の欠如と、感覚への不信が、
重なっている状態だと感じました。

だから、説明より先に体験が起きる

そのため、
私はあまり説明をしませんでした。

何かを教えようとしたわけでも、
理解させようとしたわけでもありません。

ある流れの中で、
そのまま一緒に飲食店へ行くことがあります。
ただ、それだけです。

荻窪の煮込み屋に行ったときも、
山梨の旅で立ち寄った店でも、
特別な演出はありませんでした。

けれど、
「こんな店が、ここにあるんだ」
「この空気なら、また来たいかもしれない」
そんな感覚が、自然に立ち上がります。

新年に来てみたい、
次は誰かを連れて来たい。
そのくらいの芽が生まれれば、
それで十分です。

気づきは、あとから追いついてくる

面白いのは、
その場で何かを理解するわけではない、
という点です。

多くの場合、
気づきは、
帰り道や、翌日になってから、
ぽつりと現れます。

「思っていたより、普通だった」
「これなら、自分にもできるかもしれない」

その感覚がひとつ生まれるだけで、
行動のハードルは、
ずいぶん低くなります。

体験は、説明の代わりではない

もちろん、
体験があれば、
説明が不要になるわけではありません。

けれど、
説明を受け取れる状態を、
先につくってくれることがあります。

百聞は一見にしかず、という言葉がありますが、
実際には、
行ってみないと分からないことが、
ほとんどです。

小さなまとめ

体験は、
すべてを理解させるためのものではありません。

けれど、
世界の見え方を、
少しだけ変えてくれることがあります。

常連になることも、
新しい場に足を踏み入れることも、
多くは、
一度「やってしまった」あとに、
自分の言葉になります。


※この記事は、特定の方法や正解を勧めるものではなく、
ある体験の中で起きた感覚を、
記録として整理したものです。

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Shingo Takenaka

Shingo Takenaka

しなやかな律を探る実践者|APLF主宰

北海道・苫小牧市に生まれ育つ。東京大学大学院を修了後、外資系テック企業で働きながら起業。 現在は、人・もの・自然をつなぐ活動を軸に、自己の律と他者との共生を探求しています。 APLFでは「自分らしく、しなやかに生きる」ための実践知を静かに発信し、日々の整えから人生の投資と回収まで、思考と行動を重ねながら日常の美しさを見つけ続けています。

  1. 0の側に触れた夜— 向きが変わっていたことについての記録

  2. 静かな呼吸としてのAPLF─ 強い言葉を使わない、という選択について

  3. 世界と距離を取るという、生き方 ─ ここにいながら、巻き込まれすぎない

このメディアをつくっている人

Shingo Takenaka

APLF主宰

しなやかに、自分の律で生きる
人と自然、もののめぐりを見つめながら
東大院|外資テック|起業10年

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去年の旭山で。

何をしているのかは、よく分からない。
でも、ずっと見ていられた。
.
光の向きで、部屋の表情が変わる。
ゆっくりと火の季節になってきた。
.
ひとりで歩く夜でも、
どこかで誰かとつながっている気がする。

看板の灯りや、店に流れる小さな気配が、
そっとこちらの歩幅を整えてくれる。

この街の夜にも、静かなやさしさがある。

日々、誰かや何かとの出会いがあって、
それが過剰な意味を持たなくてもいい。
気負いすぎず、気負わなすぎず、
ただ今日を歩いていけばいい。
.
失われていくものには、静かな美しさがある。

街も、人も、建物も、生きているように変わっていく。
生まれ、育ち、そして少しずつ朽ちていく。

その流れは止められない。
だからこそ、心が動くのだと思う。

かつて誰かが暮らし、笑い、
生活の音があったはずの場所に立つと、
そこに残る “気配” に触れることがある。

完全には戻らないもの。
もう取り戻せない時間。

その不可逆さが、優しさや懐かしさを生む。

失われるからこそ、
大切にしようと思えるし、
誰かに優しくなれたり、
いまを丁寧に味わえるようになったりする。

衰えることは、ただのマイナスではない。
そこから新しい命や文化が生まれ、
誰かが受け継ぎ、形を変えながら残っていく。

すべてが永遠に続く世界より、
終わりがある世界のほうが、きっと美しい。

生命も、街も、建物も、
変わっていくことで息をしている。

その無常を抱きしめながら、
今日をちゃんと生きていきたい。

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