しなやかに、自分の律で生きるための実践知メディア

記録

七夕から、大晦日まで

─ APLFという生命の、最初の半年

年の終わりが近づくと、
街や人の動きが、少しずつ静かになっていく。
片付けをしたり、立ち止まったり、
この一年をどうだったかと、振り返る時間が増える。

APLFについても、
ここで一度、立ち止まってみようと思う。


APLFを公開したのは、7月7日。
七夕だった。

完成したメディアを世に出した、
という感覚は、正直ほとんどなかった。
むしろ、
「ここから始まってしまう」
そんな気配の方が強かった気がする。


この半年で、
何かが大きく変わったかと言えば、
目に見える変化は、あまりない。

大きく広げたわけでもなく、
無理に説明したわけでもなく、
数字を追いかけたわけでもない。

ただ、
書き、整え、
ときどき立ち止まり、
また日常に戻る。
その繰り返しだった。


けれど振り返ってみると、
APLFは「構造」や「メディア」という言葉より、
もっと別のものに近づいている気がしている。

生命のようなもの、
と言った方が、しっくりくる。


こちらの想定どおりには動かず、
予測しない反応を返し、
ときどき、こちらを動かしてくる。

気づけば、
APLFの方が、
自分の選択や行動に
小さな影響を与えている場面も増えていた。


APLFについて、
自分がすべてを設計し、
意のままにつくってきた、
という感覚はあまりない。

むしろ、
いくつものきっかけや、
人との関係、
時間の流れの中で、
半ば自動的に立ち上がってきた、
という方が近い。

手を入れすぎないこと。
先回りして形を決めすぎないこと。

できるのは、
環境を整え、
流れを止めないことくらいだった。


人もまた、
そうやって生きている生命だと思う。

誕生し、
すぐには歩けず、
多くの時間をかけて、
世界を吸収していく。

完成することはなく、
関係の中で揺れながら、
それでも、続いていく。


偶然から生まれた旅や特集。
意図していなかった読まれ方。

それらを通して、
APLFが少しずつ、
自分の足で立ち始めているような
感覚がある。


APLFは、
何かを教えるための場所ではない。
正解を示すためのメディアでもない。

日常に戻るための通路であり、
立ち止まるための余白であり、
自分の人生を、自分の感覚で
味わい直すための場所だ。


年が変われば、
また日常が続いていく。

APLFもまた、
特別な場所に留まることなく、
日々の中に溶け込みながら、
生きていくのだと思う。

完成しないまま。
関係の中で。
生命として。

日常に、ひとつのきっかけを
10の小さなスイッチを受け取る

日常の小さな選択や行動の中に、
感性をひらく“遊び”の余白があります。

「大人の遊びかた研究室」では、
そんな実験や気づきを、静かにシェアしています。

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  • この文章を書いている人
  • 最近の実践と気づき
Shingo Takenaka

Shingo Takenaka

しなやかな律を探る実践者|APLF主宰

北海道・苫小牧市に生まれ育つ。東京大学大学院を修了後、外資系テック企業で働きながら起業。 現在は、人・もの・自然をつなぐ活動を軸に、自己の律と他者との共生を探求しています。 APLFでは「自分らしく、しなやかに生きる」ための実践知を静かに発信し、日々の整えから人生の投資と回収まで、思考と行動を重ねながら日常の美しさを見つけ続けています。

  1. 0の側に触れた夜— 向きが変わっていたことについての記録

  2. 静かな呼吸としてのAPLF─ 強い言葉を使わない、という選択について

  3. 世界と距離を取るという、生き方 ─ ここにいながら、巻き込まれすぎない

このメディアをつくっている人

Shingo Takenaka

APLF主宰

しなやかに、自分の律で生きる
人と自然、もののめぐりを見つめながら
東大院|外資テック|起業10年

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去年の旭山で。

何をしているのかは、よく分からない。
でも、ずっと見ていられた。
.
光の向きで、部屋の表情が変わる。
ゆっくりと火の季節になってきた。
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ひとりで歩く夜でも、
どこかで誰かとつながっている気がする。

看板の灯りや、店に流れる小さな気配が、
そっとこちらの歩幅を整えてくれる。

この街の夜にも、静かなやさしさがある。

日々、誰かや何かとの出会いがあって、
それが過剰な意味を持たなくてもいい。
気負いすぎず、気負わなすぎず、
ただ今日を歩いていけばいい。
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失われていくものには、静かな美しさがある。

街も、人も、建物も、生きているように変わっていく。
生まれ、育ち、そして少しずつ朽ちていく。

その流れは止められない。
だからこそ、心が動くのだと思う。

かつて誰かが暮らし、笑い、
生活の音があったはずの場所に立つと、
そこに残る “気配” に触れることがある。

完全には戻らないもの。
もう取り戻せない時間。

その不可逆さが、優しさや懐かしさを生む。

失われるからこそ、
大切にしようと思えるし、
誰かに優しくなれたり、
いまを丁寧に味わえるようになったりする。

衰えることは、ただのマイナスではない。
そこから新しい命や文化が生まれ、
誰かが受け継ぎ、形を変えながら残っていく。

すべてが永遠に続く世界より、
終わりがある世界のほうが、きっと美しい。

生命も、街も、建物も、
変わっていくことで息をしている。

その無常を抱きしめながら、
今日をちゃんと生きていきたい。

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