A Life Woven by Gratitude and Circulating Value
人は、どんな道を歩いてきたのかを振り返るとき、
そこには“流れ”のようなものがあります。
偶然のようで必然のような出会い、迷い、選択、気づき。
それらが折り重なって、いまの自分を静かに形づくっているように思います。
ここでは、僕自身の歩みを、
順路としてそっと置いてみました。
あなたが自身の軌跡を思い返したくなったとき、
ひとつの手がかりになれば嬉しく思います。
めぐりめぐって、今ここにいる

いま、僕の心と身体、そして環境が、
ゆっくりと、整いの流れに乗ってきているのを感じます。
呼吸が深まり、日々に張りとゆとりが生まれ、
関わる人たちとのあいだにも、
自然に信頼や温かさが芽吹いていく。
収入や時間、健康、人間関係。
仕事と遊びのリズムも、自分なりのペースでめぐりはじめ、
全体がひとつの循環の中にあるように感じています。
会社員として働きながら、
いくつかの活動を並行し、
よく動き、よく味わう日々。
人生の時間は、限られている。
やりようによっては、いくらあっても足りない。
だからこそ、仕事のなかに遊びを見つけ、
遊びを仕事に活かす。
重ね合わせ、響きあう感覚を大切にしてきました。
一石二鳥どころか、
気がつけば、いくつもの実りが同時に立ち上がっている。
そんな状態を、静かに味わっています。
けれど、いつもそうだったわけではありません。
北のまちで芽吹いた感覚と知性

僕は北海道・苫小牧で育ち、22年間をそこで過ごしました。
広い空、凍った湖、森のにおい。
そんな自然に囲まれた暮らしの中で、
感性や情緒のようなものが、静かに育まれていたように思います。
祖父や父の影響で、ものづくりも幼いころから身近にありました。
工業高専では情報系を学び、専攻科を経て学士(工学)を取得。
論理回路やプログラムなど、「0と1」の世界に触れたことで、
複雑なものにもシンプルな構造や本質があることを体感しました。
これは、後の自分の思考や感性にも、少なからず影響しています。
「I型 → π型 → ムカデ型技術者」という進化のイメージにも出会いました。
専門性を深く掘り、隣接領域へと広げ、
やがて複数の足で柔軟に動ける存在へ。
専門家やジェネラリストではなく、
自分なりの“ヴァーサタイリスト”でいたい。
そんな志向が、この頃から形になりはじめていました。
また、医療現場と連携した開発に取り組む中で、
地域の人々のあたたかさや、目の前の誰かのために動く姿に、
心を動かされました。
そんな日々の一方で、「もっと広い世界に触れてみたい」という思いも、
静かにふくらんでいきました。
その気配が、次の一歩を促していたように思います。
世界が開き、つながりが芽生える

大学院進学を機に、僕は東京へ移り住みました。
最先端の研究に触れ、人も情報もエネルギーも、加速度的に動く都市の中で、
自分の内と外が一気にひらかれていくような感覚がありました。
とくに、AI、サイボーグ、医療福祉機械の研究を通じて、
人の身体と情報、機械や電気の仕組みを、統合的に捉える視点を得たことは、
のちの感性や活動にも深く影響を与えています。
人と機械、都市と自然、テクノロジーと身体――
相反するようでいて、本来はつながっている世界のあり方に、惹かれていきました。
また、自転車で感じた身体感覚の拡張や、
触れずに相手を動かす合気道の身体知、
あくびがうつるような無意識下でのつながりなど、
「身体を通じた関係性」への感度も高まっていきました。
数学の圏論で学んだ、ノードとエッジの関係にも似て、
人と人、人と道具、人と場の“つながり方”を、実感しはじめた時期でもあります。
この感覚は、のちに僕が多くの場で大切にする視点の、
ひとつの原点になっていきました。
SNS「GREE」で出会った“6次の隔たり”の概念や、
スモールワールド・ネットワークの考え方も、
都市の偶然的な出会いを肯定する視点を与えてくれました。
一方、「Mixi」では音楽レストランに関わる友人たちとの縁から、
経営者やアーティスト、役者の輪へとつながっていく経験もありました。
そうした日々は、僕の中の「つながり」の定義を大きく変えてくれました。
大学院時代に初めて訪れた海外、MITでの研究発表と交流も、大きな転機でした。
さらにニューヨークでは、美術館や舞台芸術、街のリズムに触れることで、
文化や人々の“空気感”の違いに心が震えました。
都市によって、マクドナルドの雰囲気すらまったく違う――
そんな小さな体験さえも、世界の多様性を感じるきっかけとなったのです。
飛び込み、揺れながら前に進む

その後、技術営業として働き始め、全国各地を飛び回る日々が始まりました。
金沢の寿司や、神戸の鉄板焼。
日常ではなかなか行けない場所にも、一回だけは、と
自分なりの「投資と回収」のマインドで飛び込んでいきました。
新人でお金のなかった頃だからこそ、
得られる情報や気づき、感動がひとつひとつ濃く、
その一歩一歩で、少しずつ視野が広がっていきました。
営業として、交渉術を学ぶ機会がありました。
それは単なる営業テクニックではなく、
人と人がどう関わり、どんな関係を育てられるかを考える
大きな転機でもありました。
同時に、Webビジネスやマーケティングにも興味を持ち始めました。
仕組みやアルゴリズムによって、広く届くものもあれば、
静かに、丁寧に、ひとりに届けられるべき価値もある。
職人の手仕事や、個人店の営みのように、
心ある価値が見えにくくなることもある今、
「数量や効率」だけでは測れないものを、どう育て、どう繋いでいくか――。
それは、この頃から僕の中に根づいた問いのひとつです。
問い直し、再起し、本質へ向かう

28歳前後。
リーマンショックの荒波の中、同期や先輩が次々と職を失い、
自分の力の小ささを痛感する出来事が続きました。
自分なりに積み重ねてきたものがあっても、
社会の大きなうねりの前では無力なのではないか——
そんな思いに、深く揺さぶられる時期でした。
そんな中、自分の人生を切り拓く力を身につけたいと願い、
短いあいだではありますが、ひとつのビジネスの取り組みに触れた時期もありました。
製品に込められた思想や、仲間との一体感に惹かれ、
熱量のある実践を通して、たくさんのことを学びました。
一方で、経済的な持続の難しさや、自分の価値観との違いも感じ、
次第に距離を置くようになりました。
やはり、自分自身の背景や想いに根ざしたものを、世の中に届けたい——
そんな思いが、少しずつ輪郭を帯びていったのです。
その頃、ふらりと入った八王子のバーボンのお店で、
ひとりの人物と出会いました。
通ううちに、彼が高専出身で、ものづくりに情熱を注いできた人だと知ります。
年齢は二回りほど上で、父母世代に近い方でしたが、
不思議と馬が合い、深いご縁となっていきました。
この出会いをきっかけに、
ものづくりとエネルギーをテーマにしたプロジェクトに関わり、
社会の基盤に向き合う実践に、腰を据えて取り組むようになりました。
僕自身は、会社員として働きながら、
限られた時間を使って、この実践に向き合ってきました。
「このテーマには、確かな本質的な力がある」
そう思いながら、地道に試作や対話を重ねています。
また同じ頃、あるシンポジウムで、リン・ツイスト氏の講演に触れました。
「お金とは何か」
「精神性と物質性を、どう統合するのか」
そして、分断された世界をどう結び直せるのか。
そんな問いの数々に、胸を打たれました。
氏の著書『ソウル・オブ・マネー』を読み進める中で、
お金を「どう扱うか」ではなく、
お金と「どう向き合い、どんな関係を結ぶのか」という問いと向き合うようになりました。
それは、いまの僕の活動にも、静かな指針を与えてくれています。
世界にホームを見つける旅へ

会社員としての本業に加え、
いくつもの役割や責任を抱えながら日々を過ごしていました。
そんな中、コロナ禍を境に、体調を大きく崩した時期があります。
健康診断ではE判定。気力も体力も一気に落ち込み、
「このままでは本当に危ない」と、強く感じるようになりました。
そこから、運動や食生活の見直し、暮らしの環境づくりなど、
心身を整える取り組みを、本格的に始めました。
振り返ってみると、同じ頃、
自分の経験や視点をどこへ向けていくのか、
静かに考え始めていたように思います。
Webや発信、ものづくりの世界に触れながら、
後につながる芽を、無意識のうちに拾っていた時期でした。
信頼できる専門家のもとで、本質的な情報発信や価値提供の方法を学び、
少しずつ個人での発信やコンサルティングにも取り組むように。
2023年頃からは、事業のサポートを通じて感謝される機会もできて、
「自分が動くことで、誰かの役に立てる」という手応えを感じるようになっていきました。
そんな個人の取り組みとは別に、
以前から全国各地に出かけ、知らない場所や人との出会いを楽しむようにしていました。
予約なしで飲食店を訪ね、閉まっていても、
「偶然の余白」にこそ意味がある、と受け取る。
そんな小さな飛び込みや、偶然の出会いを重ねるうちに、
「ここも、自分の居場所かもしれない」
そう感じられる場所が、少しずつ増えていったのです。
今では、いくつもの「ホーム」と呼べる場所や人が、全国各地に点在しています。
オンライン・オフラインを問わず、安心して心を開ける場所や、
困ったときに頼れる人がいることは、人生に深い豊かさをもたらしてくれます。
それは、単なる居場所ではなく、
感動や気づきを分かち合い、良いものを循環させていける、小さな拠点でもあります。
時代や環境が不確実に揺れるいまだからこそ、
自分にとっての「ホーム」を増やしていくことは、
生存戦略のようであり、より良い世界を育むための大切な土壌だと感じています。
静かに、でも確かに、
自分の世界が広がってきている実感があります。
感謝を起点に、価値がめぐる未来へ

こうして振り返ってみると、
僕の人生はいつも、感謝とつながりをきっかけに、
新しい一歩を踏み出してきたように思います。
そして、その一歩一歩が、いまの自分をかたちづくり、
少しずつ世界を広げてくれました。
いま、僕の人生の延長線上に立ち上がってきたプロジェクトが、
「APLF(Appreciate Life)」です。
自分自身や誰かの真価を見つけ、味わい、育てあうことで、
人生をより豊かにしていく試みです。
学んできたこと、感じてきたこと、実践してきたこと。
それらを、この場所から発信していくことで、
ふと立ち止まったときの気づきや、
明日を変える小さな一歩のきっかけになればと願っています。
人生は一度きり。
だからこそ、誰かの価値を本気で受け取り、
自分の価値も惜しみなく差し出しながら、
お互いの人生を育て合うような関係を、広げていけたらと思っています。
そんな未来を、APLFを通じて、少しずつ育てていけたらと思っています。
これまで僕は、主にオフラインで直接会い、話すことを大切にしてきました。
仲の深い友人や知人と向き合いながら、
それぞれが持つ感覚や経験を丁寧にほどき、次の一歩につながる形へと整える時間を重ねてきました。
深く話して初めて見えてくるものがある——
そんな実感がずっとありました。
今もその感覚は変わらず、
APLFというプロジェクトを通じて、
出会う前から伝わる“土台”を、少しずつ整えています。
そこから、無理のない深さで実践へと進んでいけるように。
まだ出会っていない誰かにも、
価値や意味が必要なタイミングで届き、
気づきや変化のきっかけとなるような“土壌”を、
静かに育てていけたらと願っています。
そして僕自身も、この循環の中で、
まだ見ぬ景色へと歩み続けていけたらと思っています。