A Place to Return
祖母の葬儀で、苫小牧に帰った。
家族だけの小さな葬儀だった。
棺を閉めるとき、
帯にメッセージを書く時間があった。
何を書こうか少し考えたが、
結局、
「婆ちゃん、ありがとう」
とだけ書いた。
色々思い浮かんだが、
それくらいしか書けなかった。
葬儀の翌日は、
実家で仕事をしていた。
特別なことをしていたわけではない。
ただ静かな時間だった。
いつも通りのようでもあり、
いつもとは少し違うようでもある。
そんな時間の中で、
昔の記憶をいくつか思い出したり、考えたりしていた。
北海道に帰ると、
「帰ってきた」という感じがする。
空気の匂いだったり、
街の静けさだったり、
遠くに見える山や湖だったり。
そういうものに触れると、
体のどこかが少しゆるむ。
でも不思議なことに、
いまは東京に戻ったときも、
同じように
「帰ってきた」
という感じがする。
帰る場所は
ひとつではないのかもしれない。
北海道では、
秋になると鮭が帰ってくる。
海で大きくなり、
川に戻ってきて、
次の命を残す。
それが終わると、
静かに一生を終える。
冬になると、
今度は白鳥がやってくる。
湖に集まり、
春になると、
またどこかへ飛んでいく。
同じ個体ではないのに、
毎年、再会しているような感じがある。
自分もまた、
東京と北海道を行き来している。
どこかで、
それと似た循環の中に
いるのかもしれない。
祖父母は四人しかいない。
その四人がいなければ、
自分は存在していない。
けれど、
つながりは血だけではない。
言葉だったり、
仕草だったり、
もっと言葉にならないものだったり。
そういうものは、
人から人へ静かに残っていく。
もっと長い時間で見れば、
人間も生命の流れの中にいる。
遠い祖先をたどれば、
あるいは魚だったのかもしれない。
そう思うと、
いま生きている魚や動物も、
どこか遠い親戚のようにも思えてくる。
同じ時代を生きている
仲間のようでもある。
宇宙があり、
そこから生命が生まれ、
人が生きている。
人生は、
生まれ、
いろいろなことができるようになり、
やがてまた
できない状態に戻っていく。
赤ん坊は、
何も知らないのに笑い、泣く。
何もできないのに、
大きな可能性を持っている。
何もできないことと、
何でもできることは、
それほど遠くないのかもしれない。
祖母の葬儀で帰省した今回も、
そんなことを少し思い出していた。
特別なことをしていたわけではない。
ただ、
実家で静かに仕事をしている時間の中で、
昔の記憶が
少しずつ浮かんできた。
もしかすると人は、
人生の中で、
何度も
帰る場所を見つけながら
生きているのかもしれない。