しなやかに、自分の律で生きるための実践知メディア

記録

現実と名付けてみた妄想の中で

─ 記録として残しておくこと

※この記事は、APLFの「深層の縁」「外縁」を整理していた作業の最中に、
ふと耳に残った歌詞をきっかけに、
影響と来歴の輪郭を静かに記録しておくための文章です。


いま、APLFの中で
「深層の縁」や「外縁」と呼んでいる領域を整理している。

新しく何かを発見したというより、
ずっと自分の中にあった感覚を、
ようやく置ける場所が見つかった。
そんな作業だった。

深層の縁や外縁に置いた文章は、
最近になって急に生まれたものではない。
昔から書いてきた文章や、
言葉にならないまま残っていた感覚を、
今の視点で整理し直したものに近い。


そんな作業をしているあいだ、
Apple Musicで音楽を流していた。

特別に何かを探していたわけではない。
いつも通りのプレイリストで、
昔から聴いてきた曲が流れていただけだ。

その中で、
BUMP OF CHICKENの「レム」の歌詞が、
ふと耳に残った。

「あ、近いな」
そう感じた。


でもそれは、
いまになって歌詞の意味が分かった、という話ではない。

昔から聴いてきた曲だし、
最近も何度も耳にしている。

引っかかったのは、
歌詞そのものが変わったからではない。

ただ、いまAPLFの中に
深層の縁や外縁として文章を置き終えた直後だったから、
その歌詞が、同じ棚の高さに並んで見えただけだ。


現実と呼んでいるもの。
演じている自分。
現実と名付けてみた妄想。

そうした言葉は、
どこかでずっと自分の中にあった。

BUMPの影響だけではない。
宮城谷昌光や金庸、北方謙三の物語。
もっと言えば、
ゲームや漫画、音楽、
十代の頃にGREEで書いていた文章。

当時、
「RADWIMPSっぽい」と言われたこともあった。
その頃はRADWIMPSをよく知らなかったけれど、
今になって思えば、
詩的な言葉や、
現実と虚構の境界に触れる感覚に、
自然と惹かれていたのだと思う。


だから今回の作業は、
何か新しい思想を作ったというより、
ずっと前からあった層を、
いまの構造の中に静かに戻した、という感覚に近い。

深層。
深層の縁。
外縁。

それらは、上から下へ積み上げたものではない。

むしろ、いちばん外側にあったもの。
言葉になる前からあった感覚が先にあって、
そこから6つの断面や7つの共通原則、
そして深層という構造が立ち上がってきた。

その順番を、あとから整理しているだけだ。


だから、
レムの歌詞が引っかかったのも、
「影響を受けたから」ではない。

ただ、同じ場所から生まれた別の言葉が、
同じ棚に置かれているのを見つけた。
それだけのことだ。

現実か、妄想か。
演じているのか、在っているのか。

その答えを出すために、
この文章を書いているわけではない。

ただ、
ここにいた感覚が、たしかにあった。
そのことを、記録として残しておきたかった。

それで十分だと思っている。

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Shingo Takenaka

Shingo Takenaka

しなやかな律を探る実践者|APLF主宰

北海道・苫小牧市に生まれ育つ。東京大学大学院を修了後、外資系テック企業で働きながら起業。 現在は、人・もの・自然をつなぐ活動を軸に、自己の律と他者との共生を探求しています。 APLFでは「自分らしく、しなやかに生きる」ための実践知を静かに発信し、日々の整えから人生の投資と回収まで、思考と行動を重ねながら日常の美しさを見つけ続けています。

  1. 0の側に触れた夜— 向きが変わっていたことについての記録

  2. 静かな呼吸としてのAPLF─ 強い言葉を使わない、という選択について

  3. 世界と距離を取るという、生き方 ─ ここにいながら、巻き込まれすぎない

このメディアをつくっている人

Shingo Takenaka

APLF主宰

しなやかに、自分の律で生きる
人と自然、もののめぐりを見つめながら
東大院|外資テック|起業10年

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去年の旭山で。

何をしているのかは、よく分からない。
でも、ずっと見ていられた。
.
光の向きで、部屋の表情が変わる。
ゆっくりと火の季節になってきた。
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ひとりで歩く夜でも、
どこかで誰かとつながっている気がする。

看板の灯りや、店に流れる小さな気配が、
そっとこちらの歩幅を整えてくれる。

この街の夜にも、静かなやさしさがある。

日々、誰かや何かとの出会いがあって、
それが過剰な意味を持たなくてもいい。
気負いすぎず、気負わなすぎず、
ただ今日を歩いていけばいい。
.
失われていくものには、静かな美しさがある。

街も、人も、建物も、生きているように変わっていく。
生まれ、育ち、そして少しずつ朽ちていく。

その流れは止められない。
だからこそ、心が動くのだと思う。

かつて誰かが暮らし、笑い、
生活の音があったはずの場所に立つと、
そこに残る “気配” に触れることがある。

完全には戻らないもの。
もう取り戻せない時間。

その不可逆さが、優しさや懐かしさを生む。

失われるからこそ、
大切にしようと思えるし、
誰かに優しくなれたり、
いまを丁寧に味わえるようになったりする。

衰えることは、ただのマイナスではない。
そこから新しい命や文化が生まれ、
誰かが受け継ぎ、形を変えながら残っていく。

すべてが永遠に続く世界より、
終わりがある世界のほうが、きっと美しい。

生命も、街も、建物も、
変わっていくことで息をしている。

その無常を抱きしめながら、
今日をちゃんと生きていきたい。

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