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記録

同じ場所を、五回目に見るということ

─ 繰り返し訪れることで、関係になる場所

※この記事は、旭川・美瑛という同じ場所を、
学生時代から現在に至るまで、何度も訪れる中で、
その関係の変化を静かに記録しておくための文章です。


同じ場所を、何度も訪れるという体験は、
思っていた以上に静かなものだ。

初めて訪れたときのような驚きは少なくなるし、
分かりやすい感動も、だんだん減っていく。

その代わりに、
少しずつ、別のものが残っていく。


旭川や美瑛を訪れるのは、
今回で五回目になる。

直近の二年間だけで四回。
けれど、その前に一度、
学生の頃にも来ている。

東京から北海道大学に実験のために出向き、
その流れで旭川まで足を伸ばした。

蜂屋で醤油ラーメンを食べ、
旭山動物園を歩いた。

いま思えば、
ごく素直な「観光」だった。

当時の記憶は、
風景というより、
「行った」という事実として残っている。

それで十分だったし、
それ以上でもなかった。


2024年以降、
再び旭川を訪れるようになった。

きっかけは単純で、
東京で出会ったグルメ仲間が、
仕事の関係で旭川に住むことになったからだ。

任期は2年。
期限付きの滞在。

北海道に帰省するついでに、
旭川に寄る。
最初は、それくらいの距離感だった。


美瑛の青い池を訪れたのも、
旭川を繰り返し訪れるようになってからのことだ。

青い池に来るのは、今回で四回目になる。

最初は雨の日だった。

青い池(雨の日)

湖面は静かで、
色も控えめで、
いわゆる「写真で見る青い池」とは違っていた。

けれど、不思議とがっかりはしなかった。

これはこれで、悪くない。
そう素直に思えたことを、
よく覚えている。

二回目は、
同じ旅の中で二日続けて訪れた。

一日目は夕方で、
やはり普通の湖のように見えた。

青い池(夕方)

ところが翌日の昼、
光が変わると、
まったく別の色になっていた。

青い池(昼)

ああ、これが言われている
「青い池」なのか、と。

少し遅れて、
納得が追いついた。


そして今回、
五回目の旭川。

紅葉や黄葉が残る中に、
雪が重なっていた。

青い池(黄葉と雪)

分かりやすさで言えば、
決して一番の季節ではない。

けれど、
季節の境目が、
そのまま現れているような景色には、
これまでとは違う強さがあった。


同じ場所でも、
天候や時間、季節が違えば、
見えるものは変わる。

それ以上に、
こちらがどこに立っているかによって、
受け取り方は大きく変わる。


2025年1月2日には、
冬の旭山動物園も訪れた。

寒さは厳しい。

旭山動物園(ペンギンの行進)

けれど、
動物たちの輪郭ははっきりしていて、
夏とはまったく違う表情をしていた。

旭山動物園(ペンギン)

整えられた見せ場というより、
生きものとしての気配が、
そのまま立ち上がっている。

そんな印象が残った。

旭山動物園(アザラシ)


初めて来たときには、
気づかなかったこと。

一度きりでは、
受け取れなかった感覚。

何度も訪れることで、
場所が変わるというより、
こちらとの関係に、
層が重なっていく。

旭川や美瑛は、
最初から「特別な場所」だったわけではない。

けれど、
訪れる回数を重ねるうちに、
気づけば、
関係になっていた。

目的地というより、
あとから、静かに居場所になっていく街。

旭川という場所を、五回目に見て、
ようやく、
そんなことを思った。

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Shingo Takenaka

Shingo Takenaka

しなやかな律を探る実践者|APLF主宰

北海道・苫小牧市に生まれ育つ。東京大学大学院を修了後、外資系テック企業で働きながら起業。 現在は、人・もの・自然をつなぐ活動を軸に、自己の律と他者との共生を探求しています。 APLFでは「自分らしく、しなやかに生きる」ための実践知を静かに発信し、日々の整えから人生の投資と回収まで、思考と行動を重ねながら日常の美しさを見つけ続けています。

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このメディアをつくっている人

Shingo Takenaka

APLF主宰

しなやかに、自分の律で生きる
人と自然、もののめぐりを見つめながら
東大院|外資テック|起業10年

.
去年の旭山で。

何をしているのかは、よく分からない。
でも、ずっと見ていられた。
.
光の向きで、部屋の表情が変わる。
ゆっくりと火の季節になってきた。
.
ひとりで歩く夜でも、
どこかで誰かとつながっている気がする。

看板の灯りや、店に流れる小さな気配が、
そっとこちらの歩幅を整えてくれる。

この街の夜にも、静かなやさしさがある。

日々、誰かや何かとの出会いがあって、
それが過剰な意味を持たなくてもいい。
気負いすぎず、気負わなすぎず、
ただ今日を歩いていけばいい。
.
失われていくものには、静かな美しさがある。

街も、人も、建物も、生きているように変わっていく。
生まれ、育ち、そして少しずつ朽ちていく。

その流れは止められない。
だからこそ、心が動くのだと思う。

かつて誰かが暮らし、笑い、
生活の音があったはずの場所に立つと、
そこに残る “気配” に触れることがある。

完全には戻らないもの。
もう取り戻せない時間。

その不可逆さが、優しさや懐かしさを生む。

失われるからこそ、
大切にしようと思えるし、
誰かに優しくなれたり、
いまを丁寧に味わえるようになったりする。

衰えることは、ただのマイナスではない。
そこから新しい命や文化が生まれ、
誰かが受け継ぎ、形を変えながら残っていく。

すべてが永遠に続く世界より、
終わりがある世界のほうが、きっと美しい。

生命も、街も、建物も、
変わっていくことで息をしている。

その無常を抱きしめながら、
今日をちゃんと生きていきたい。

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