店には、
世界が縮尺されて置かれている。
役割も、
感情も、
関係性も、
すべてが、そのまま現れる。
私が店に通う理由は、
料理や酒だけではありません。
そこには、
人と人が交差する現場があり、
役割が生まれ、
ずれ、
時にぶつかり、
また整っていく様子があります。
それを、
かなり近い距離で、
そのまま見ることができる。
店は、
社会の縮図であり、
もっとも小さな「モデル」だと感じています。
店には、すべての役割が集まる
店という空間には、
いくつもの役割が、
同時に存在しています。
- 経営を担うオーナー
- 現場を支えるスタッフ
- 通い慣れた常連の客
- 初めて訪れる一見の客
同じ場所にいながら、
それぞれが、
まったく違う景色を見ている。
役割が違えば、
見えるものも、
抱えている緊張も、
悩みの種類も変わります。
経営の不安。
人間関係の摩擦。
感情のもつれ。
きれいごとでは済まない現実が、
店には、隠されずに現れます。
店と客は、きれいに分かれていない
店と客は、
役割としては分かれています。
けれど実際には、
その境界は、
かなり曖昧です。
何度か通い、
会話を交わし、
空気を共有するうちに、
客は、少しずつ内側に近づいていく。
店側の事情が見えたり、
場の流れが読めるようになったりする。
それでも、
客は、あくまで客である。
この前提が崩れると、
場のバランスは、
途端に不安定になります。
距離が縮むと、責任が生まれる
距離が縮むこと自体は、
悪いことではありません。
けれど、
距離が縮んだ分だけ、
振る舞いの質が問われるようになります。
他の客が入りづらくなっていないか。
場の空気を占有していないか。
店の人間のように振る舞っていないか。
これは、
マナーというより、
役割を踏み越えないための感覚です。
常連になる、ということは、
特権を得ることではなく、
空気に対する責任を、
少しだけ引き受けることなのだと思います。
便利な時代だからこそ、店に行く
今は、
家から出なくても、
生活が成立する時代です。
人と話さずに、
食べて、買って、
一日を終えることもできます。
それは、
とても便利で、
正しい進化でもあります。
けれど同時に、
人と人の間で起きる、
小さな調整や摩擦は、
起きにくくなっています。
店に行くという行為は、
そうした関係性の感覚を、
身体で取り戻すための、
「つながりの筋トレ」に近いものだと感じています。
店は、社会の縮小模型
店と客の関係は、
そのまま、
さまざまな構造に重なります。
- 教育と社会
- 政治と市民
- 中枢と現場
立場が違えば、
できることも、
見えることも違う。
全員が、
同じ役割を担う必要はありません。
けれど、
どの立場にいても、
渡せるものは、
必ずあります。
知識でも、
気遣いでも、
一言の礼でも。
小さなまとめ
店は、
世界を理解するための、
もっとも小さな入口です。
役割の違い。
距離感。
関係性の揺らぎ。
それらを、
頭ではなく、
身体で体験できる場所。
店と客、という構造は、
社会を生きるための、
静かな練習場なのだと思います。
世界は、
思っているより、
小さな場所で、
できている。
この文章は『深層の縁』に置かれています。
深層の縁
