与える側か、
受け取る側か。
その線を、
引かないまま立っている場所がある。
何かに関わるとき、
私たちは無意識に、
立場を決めようとする。
店と客。
教える人と、学ぶ人。
提供する側と、受け取る側。
それらは、
社会を円滑に回すための、
大切な役割分担だ。
けれど、
最近の自分の振る舞いを振り返ると、
そのどれにも、
きれいには当てはまっていない感覚がある。
答えを示さない、という選択
これまで、
サービス設計やWeb構築について、
相談を受けることがあった。
ただ、
その場で私がやっていたことは、
いわゆる「コンサルティング」とは、
少し違っていたと思う。
正解を提示することも、
やり方を言い切ることも、
ほとんどなかった。
むしろ大切にしていたのは、
答えを渡さないこと。
強制しないこと。
そして、言い切らないこと。
何を選ぶかは、
常に、相手の側に残しておく。
それは、
責任を放棄するという意味ではない。
答えは、その人の内側にあると信じて、
そこに触れすぎない。
その距離感を、
意識的に保っていた。
提供しているつもりは、なかった
面白いのは、
そうした関わり方をしていると、
こちらが「何かを提供している」と思っていない場面で、
参考にされることが増えていったことだ。
サービスを受けている立場なのに、
「その考え方、いいですね」と言われる。
客として店に行っているだけなのに、
店の人や、
たまたま隣にいた人とのあいだで、
会話がひらいていく。
金銭のやり取りとは別のところで、
知識や感覚、
あるいは、
ただの一言のお礼や笑顔が、
行き交っている。
提供している、というより、
循環の中にいる、
そんな感覚に近かった。
役割を固定しない、という立ち方
私は、
「提供する側」「受け取る側」という区別を、
あまり強く意識していない。
客であっても、
渡せるものがあれば渡す。
それは、お金に限らない。
ありがとう、と伝えること。
良かった点を言葉にすること。
人をつなぐこと。
店や場を紹介すること。
どれも、
特別なスキルがなくても、
その場でできる関わり方だ。
役割を固定しないことで、
与える/受け取るは、
その都度、自然に入れ替わる。
立ち位置を決めない、という余白
役割や肩書を引き受けるほど、
動ける範囲は、
少しずつ限定されていく。
それは悪いことではない。
けれど同時に、
立ち位置の自由度は、
確実に下がっていく。
だから私は、
すぐに何者かになろうとせず、
しばらく、
役割の外側に立っている時間を、
大切にしている。
与えることも、
受け取ることも、
その都度、入れ替わっていい。
そのほうが、
場に応じて、
自然に動ける余地が残る。
小さなまとめ
教えなくても、
伝わることがある。
答えを示さなくても、
進んでいく関係がある。
それは、
技術や方法論ではなく、
立ち方や、
関わり方の問題なのかもしれない。
役割の外側に立つ。
そこから見える風景は、
思っていたより、
静かで、自由だった。
この文章は『深層の縁』に置かれています。
深層の縁
