しなやかに、自分の律で生きるための実践知メディア

記録

半年前に、始まってしまったこと

─ APLFという場が、次の呼吸に入るまで

今日で、APLFを公開してから、ちょうど半年になる。

だからといって、
何かを締めたい気分でも、
区切りをつけたい感覚でもない。

むしろ、
半年かけて、
ようやく呼吸が揃いはじめた、
そんな感覚の方が近い。


APLFは、
最初から「こういうメディアにしよう」と
明確に決めて始めたものではなかった。

書いてみて、
反応を受け取り、
違和感があれば引き返し、
しばらく放っておいて、
また手を入れる。

その繰り返しの中で、
あとから構造が見えてきた、
という方が正確だと思う。


半年前、
「ここから始まる」と思ったわけではない。

ただ、
「ここから、しばらく終わらない何かが
動き続けてしまう」
そんな予感は、確かにあった。

実際、
書いたものは、
こちらの意図だけでは収まらず、
思ってもいなかった方向から、
反応や問いを返してきた。


そうした流れの中で、APLFの中では、
あえて置かずにきた領域がある。

昔からずっと考え続けてはいたし、
断片として書き留めてもいた。

けれど、
この場所に置くには、
まだ早い気がしていたもの。

説明するには早すぎ、
整理するには広すぎ、
まとめるには、生々しすぎるもの。

書かれないまま、
けれど確かに、
背後に溜まり続けていた感触。


12月の終わりに差しかかった頃、
その置き場所が、急に揃った。

深層の縁、
外縁、
そして、記録。

これらは、
思想としてまとめるのでもなく、
理論として整えるのでもなく、
結論を出すためでもない。


とくに、
世界に触れてしまった側の感触を、
触れてしまった地点のまま、
そのまま置いていくような文章。

これからしばらく、
APLFの中に、
そうした文章も、
静かに並んでいく。

連載と呼ぶほど、
整ったものではないし、
読む順番にも、
はっきりした意味はない。

日常のどこかで、
ふと触れてしまうような、
その程度の距離感でいいと思っている。


半年という時間は、
何かを完成させるには短く、
けれど、
何かが生き始めるには、
十分な長さだった。

APLFは、
次の呼吸に入った。

特別な始まりではない。
ただ、
続いてしまう、というだけだ。

日常に、ひとつのきっかけを
10の小さなスイッチを受け取る

日常の小さな選択や行動の中に、
感性をひらく“遊び”の余白があります。

「大人の遊びかた研究室」では、
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Shingo Takenaka

Shingo Takenaka

しなやかな律を探る実践者|APLF主宰

北海道・苫小牧市に生まれ育つ。東京大学大学院を修了後、外資系テック企業で働きながら起業。 現在は、人・もの・自然をつなぐ活動を軸に、自己の律と他者との共生を探求しています。 APLFでは「自分らしく、しなやかに生きる」ための実践知を静かに発信し、日々の整えから人生の投資と回収まで、思考と行動を重ねながら日常の美しさを見つけ続けています。

  1. 0の側に触れた夜— 向きが変わっていたことについての記録

  2. 静かな呼吸としてのAPLF─ 強い言葉を使わない、という選択について

  3. 世界と距離を取るという、生き方 ─ ここにいながら、巻き込まれすぎない

このメディアをつくっている人

Shingo Takenaka

APLF主宰

しなやかに、自分の律で生きる
人と自然、もののめぐりを見つめながら
東大院|外資テック|起業10年

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去年の旭山で。

何をしているのかは、よく分からない。
でも、ずっと見ていられた。
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光の向きで、部屋の表情が変わる。
ゆっくりと火の季節になってきた。
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ひとりで歩く夜でも、
どこかで誰かとつながっている気がする。

看板の灯りや、店に流れる小さな気配が、
そっとこちらの歩幅を整えてくれる。

この街の夜にも、静かなやさしさがある。

日々、誰かや何かとの出会いがあって、
それが過剰な意味を持たなくてもいい。
気負いすぎず、気負わなすぎず、
ただ今日を歩いていけばいい。
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失われていくものには、静かな美しさがある。

街も、人も、建物も、生きているように変わっていく。
生まれ、育ち、そして少しずつ朽ちていく。

その流れは止められない。
だからこそ、心が動くのだと思う。

かつて誰かが暮らし、笑い、
生活の音があったはずの場所に立つと、
そこに残る “気配” に触れることがある。

完全には戻らないもの。
もう取り戻せない時間。

その不可逆さが、優しさや懐かしさを生む。

失われるからこそ、
大切にしようと思えるし、
誰かに優しくなれたり、
いまを丁寧に味わえるようになったりする。

衰えることは、ただのマイナスではない。
そこから新しい命や文化が生まれ、
誰かが受け継ぎ、形を変えながら残っていく。

すべてが永遠に続く世界より、
終わりがある世界のほうが、きっと美しい。

生命も、街も、建物も、
変わっていくことで息をしている。

その無常を抱きしめながら、
今日をちゃんと生きていきたい。

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