しなやかに、自分の律で生きるための実践知メディア

深層の縁

驚きと、感じることの正体

When Feeling Comes Before Meaning

私たちは、
ただ感じているのではない。
動きながら、世界を確かめている。


私たちは、感じることで世界を知っている。
けれど実際には、動くことで感じている

歩くから、距離がわかる。
触れるから、質感が立ち上がる。
身体を動かすから、感覚は情報になる。

感じることと、動くこと。
この二つは、切り離せない。

驚きについての整理は、
驚きは、どこに戻っているか
の補助線として読むこともできる。

感じることは、情報であり差分である

感覚とは、刺激の量ではない。
私たちが受け取っているのは、
変化――差分――だ。

たとえば、ただ腕に手を置いているだけでは、
情報はほとんどない。

けれど、腕をさする。
角度を変える。
圧を変える。
動きを加えることで、
表面の質感や境界が、はっきりしてくる。

私たちは、
動くことで感覚を更新し、
感覚によって、次の動きを選んでいる。

感じることと動くことは、
情報をやり取りする、一つの循環だ。

驚きとは、予測からわずかに外れること

感じることと、驚きは同じではない。

驚きとは、
私たちが「こうなるだろう」と置いていた予測から、
わずかに外れることだ。

私たちは常に、
予測の中で世界と関わっている。
その予測が、少しずれたとき。
更新が必要になったとき。
そこに、驚きが立ち上がる。

セミナーで、心が震える。
本の一節で、視界がひらく。
体験によって、価値観が揺れる。

それらはすべて、
私たちの予測システムが、
書き換えを迫られた瞬間だ。

「知っていること」を、確かめ直す驚き

では、
寒い場所から温泉に入り、
心地よさを感じることは、驚きだろうか。

私たちは、すでに知っている。
そうなることを、予測もしている。

それでも、
身体がほどける瞬間がある。

ここで起きているのは、
新しい知識の獲得ではない。

予測が、
情報としてではなく、
身体の感覚として、確かめ直されている。

知っているはずのことが、
繰り返し触れられることで、
中心の精度として、静かに沈んでいく。

これもまた、
驚きの一つのかたちだ。

驚きには、スケールがある

驚きは、一様ではない。

ひとつは、
予測の枠を越え、
世界の見え方そのものが揺さぶられる驚き。

価値観や射程が広がり、
器が拡張されるような体験だ。

もうひとつは、
すでに知っている感覚を、
何度も確かめ直すことで生まれる驚き。

それは、
中心――丹田やホーム――の精度を、
静かに整えていく驚きだ。

私たちは、
この二つのスケールを、
行き来しながら生きている。

往復することで、私たちは生き続けている

器を広げるだけでは、
足場を失う。

中心に留まり続けるだけでは、
世界は平らになる。

離れること。
戻ること。

その往復によって、
私たちは、予測と感覚を更新し続けている。

驚きは、
常に前景にある必要はない。

沈んでいるからこそ、
必要なときに、
確かめ直すことができる。


驚きとは、
知らなかったことに出会うことではありません。

世界を、
もう一度、動きの中で確かめること。

そのとき私たちは、
静かに、
生きている側へ戻ってきます。

この理解を、日常でどう使うかについては、
驚きとよいもの|実践ガイド ── 驚きを消費せず、人生に残すための使い方
で具体的に触れています。

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Shingo Takenaka

Shingo Takenaka

しなやかな律を探る実践者|APLF主宰

北海道・苫小牧市に生まれ育つ。東京大学大学院を修了後、外資系テック企業で働きながら起業。 現在は、人・もの・自然をつなぐ活動を軸に、自己の律と他者との共生を探求しています。 APLFでは「自分らしく、しなやかに生きる」ための実践知を静かに発信し、日々の整えから人生の投資と回収まで、思考と行動を重ねながら日常の美しさを見つけ続けています。

  1. 0の側に触れた夜— 向きが変わっていたことについての記録

  2. 静かな呼吸としてのAPLF─ 強い言葉を使わない、という選択について

  3. 世界と距離を取るという、生き方 ─ ここにいながら、巻き込まれすぎない

このメディアをつくっている人

Shingo Takenaka

APLF主宰

しなやかに、自分の律で生きる
人と自然、もののめぐりを見つめながら
東大院|外資テック|起業10年

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去年の旭山で。

何をしているのかは、よく分からない。
でも、ずっと見ていられた。
.
光の向きで、部屋の表情が変わる。
ゆっくりと火の季節になってきた。
.
ひとりで歩く夜でも、
どこかで誰かとつながっている気がする。

看板の灯りや、店に流れる小さな気配が、
そっとこちらの歩幅を整えてくれる。

この街の夜にも、静かなやさしさがある。

日々、誰かや何かとの出会いがあって、
それが過剰な意味を持たなくてもいい。
気負いすぎず、気負わなすぎず、
ただ今日を歩いていけばいい。
.
失われていくものには、静かな美しさがある。

街も、人も、建物も、生きているように変わっていく。
生まれ、育ち、そして少しずつ朽ちていく。

その流れは止められない。
だからこそ、心が動くのだと思う。

かつて誰かが暮らし、笑い、
生活の音があったはずの場所に立つと、
そこに残る “気配” に触れることがある。

完全には戻らないもの。
もう取り戻せない時間。

その不可逆さが、優しさや懐かしさを生む。

失われるからこそ、
大切にしようと思えるし、
誰かに優しくなれたり、
いまを丁寧に味わえるようになったりする。

衰えることは、ただのマイナスではない。
そこから新しい命や文化が生まれ、
誰かが受け継ぎ、形を変えながら残っていく。

すべてが永遠に続く世界より、
終わりがある世界のほうが、きっと美しい。

生命も、街も、建物も、
変わっていくことで息をしている。

その無常を抱きしめながら、
今日をちゃんと生きていきたい。

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