しなやかに、自分の律で生きるための実践知メディア

驚き

驚きは、どこに戻っているか

驚きは、
集めるものではなく、
戻ってくるもの。

一瞬で消えるのは、
消えたのではなく、
まだ帰る場所がなかっただけ。


この文章は、
驚きが沈んでいる場所
から続く問いとして書いています。

これは「深層の縁」ではなく、「驚き」の断面から──日常へ戻るための橋として書いています。

私たちは日常の中で、
思っている以上に多くの「驚き」に出会っています。

本を読んで、視界がひらく。
体験に、心が震える。
言葉が刺さり、世界の見え方が一瞬変わる。

けれど、その驚きの多くは、
いつの間にか、日常の中に消えていきます。

この文章では、
驚きがなぜ残らないのか、
そして、驚きを人生に残していくための
ひとつの捉え方を整理してみます。

驚きは、なぜ語る価値があるのか

驚きは、感動や刺激の言い換えではありません。
私たちにとって驚きとは、
世界から新しい「情報」を受け取る瞬間です。

私たちは動き、感じ、考えることで、
環境との差分を受け取っています。
その差分が、感覚となり、判断となり、行動になります。

驚きとは、
予測していた世界から、
わずかに外れた情報に出会うこと。
だからこそ、驚きは、
私たちの生き方や選択に影響を与えます。

私たちは、すでに何度も驚いている

驚きは、特別な体験に限られたものではありません。

喉が乾ききったあとに、水を飲む。
寒い場所から戻り、温かい風呂に浸かる。
張りつめた状態から、ふっと力が抜ける。

それらは、すでに知っている出来事です。
けれど、繰り返し確かめることで、
そこには確かな情報と差分があります。

私たちは、
知っていることの中でも、
何度も驚いています。

それでも、驚きは残らない

驚きが残らないのは、
感受性が足りないからではありません。

セミナーで感動する。
本を読んで、視界がひらく。
体験に、心が震える。

その瞬間の驚きは、本物です。
けれど日常に戻ったとき、
それがどこにも接続されないまま、
置き去りになることがあります。

情報が中途半端になる。
ノウハウが断片のまま終わる。
やる量、方向、時間軸、指導者。
どこかが噛み合わない。

その結果、
驚きは残らず、
ただ「やる気が出ては消える」体験になります。

驚きは、溜めておけるものではない

驚きは、溜めておくことで力になるものではありません。

使われず、試されず、
どこにも返らない驚きは、
やがて刺激として消費されます。

強い体験を求め、
次の情報を探し、
それでも手応えが残らない。

驚きが弱いのではなく、
驚きが循環していないだけです。

驚きは、循環するときに力を持つ

驚きが力を持つのは、
それが循環するときです。

感じたことを、
小さな行動に移す。
試してみて、ズレを知る。
誰かとの関係の中で、返してみる。

驚きは、
内側に溜めるものではなく、
動きの中で、次の差分を生む素材です。

反対側に触れる、という使い方

人は自然と「反対側」に触れる、という動きを持っています。

私たちはそれを、
差分を感じ直すための距離として、日々の実践の中で扱ってきました。

多くの場合、それは無意識のうちに行われています。
けれど、あえてその動きを見つめ直すと、
驚きは、もう一度立ち上がります。

負荷をかけたら、緩める。
都市にいたら、離れてみる。
集中したら、ほどく。

これは必須ではありません。
けれど、差分を感じ直すための、
有効な距離の取り方です。

驚きを、人生の素材として扱う

驚きを、
感動で終わらせない。
刺激として消費しない。

驚きを、
自分の選択や行動に使う。
関係の中に返す。

そうして驚きは、
人生をつくる素材になります。

あなたの驚きは、どこに戻っていますか

驚きは、
強さの問題ではありません。

どこに戻し、
どこで試し、
どこへ返しているか。

あなたの驚きは、
いま、どこに戻っていますか。

驚きを消費せず、人生に残すための使い方は、
驚きとよいもの|実践ガイド ── 驚きを消費せず、人生に残すための使い方
にまとめています。


驚きは、
火花ではなく、
余熱かもしれない。

すぐに消えるようでいて、
戻る場所があるなら、
何度でも灯り直す。

今日のあなたが拾った火花は、
どこへ帰っていくでしょう。
そして、誰の手元へ
そっと渡っていくでしょう。

日常に、ひとつのきっかけを
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日常の小さな選択や行動の中に、
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  • この文章を書いている人
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Shingo Takenaka

Shingo Takenaka

しなやかな律を探る実践者|APLF主宰

北海道・苫小牧市に生まれ育つ。東京大学大学院を修了後、外資系テック企業で働きながら起業。 現在は、人・もの・自然をつなぐ活動を軸に、自己の律と他者との共生を探求しています。 APLFでは「自分らしく、しなやかに生きる」ための実践知を静かに発信し、日々の整えから人生の投資と回収まで、思考と行動を重ねながら日常の美しさを見つけ続けています。

  1. 0の側に触れた夜— 向きが変わっていたことについての記録

  2. 静かな呼吸としてのAPLF─ 強い言葉を使わない、という選択について

  3. 世界と距離を取るという、生き方 ─ ここにいながら、巻き込まれすぎない

このメディアをつくっている人

Shingo Takenaka

APLF主宰

しなやかに、自分の律で生きる
人と自然、もののめぐりを見つめながら
東大院|外資テック|起業10年

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去年の旭山で。

何をしているのかは、よく分からない。
でも、ずっと見ていられた。
.
光の向きで、部屋の表情が変わる。
ゆっくりと火の季節になってきた。
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ひとりで歩く夜でも、
どこかで誰かとつながっている気がする。

看板の灯りや、店に流れる小さな気配が、
そっとこちらの歩幅を整えてくれる。

この街の夜にも、静かなやさしさがある。

日々、誰かや何かとの出会いがあって、
それが過剰な意味を持たなくてもいい。
気負いすぎず、気負わなすぎず、
ただ今日を歩いていけばいい。
.
失われていくものには、静かな美しさがある。

街も、人も、建物も、生きているように変わっていく。
生まれ、育ち、そして少しずつ朽ちていく。

その流れは止められない。
だからこそ、心が動くのだと思う。

かつて誰かが暮らし、笑い、
生活の音があったはずの場所に立つと、
そこに残る “気配” に触れることがある。

完全には戻らないもの。
もう取り戻せない時間。

その不可逆さが、優しさや懐かしさを生む。

失われるからこそ、
大切にしようと思えるし、
誰かに優しくなれたり、
いまを丁寧に味わえるようになったりする。

衰えることは、ただのマイナスではない。
そこから新しい命や文化が生まれ、
誰かが受け継ぎ、形を変えながら残っていく。

すべてが永遠に続く世界より、
終わりがある世界のほうが、きっと美しい。

生命も、街も、建物も、
変わっていくことで息をしている。

その無常を抱きしめながら、
今日をちゃんと生きていきたい。

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