しなやかに、自分の律で生きるための実践知メディア

投資と回収

魚ではなく、循環を手に入れる

学びは、
溜めるものではなく、
通すもの。

滞れば、重くなり、
流れれば、力になる。


InputとOutputを行き来しているとき、学びは不思議と飽きなくなります。
努力している感覚はあるのに、消耗していない。むしろ、次が自然に出てくる。
そんな状態に入ると、学ぶことは「頑張る行為」ではなく、呼吸に近いものになります。

学びが「苦行」になるとき、何が起きているのか

学びが苦しく感じられるとき、多くの場合、InputとOutputが分断されています。
知識は増えているのに、使われない。集めたものが、どこにも返っていかない。
その状態では、どれだけ真面目に取り組んでも、身体は乗ってきません。

InputとOutputがつながると、学びは循環しはじめる

InputとOutputがつながると、学びは循環しはじめます。
得たものをすぐ使い、使った結果が次の問いを生む。
この往復運動に入ると、学びは「作業」から「流れ」へと変わります。

ランナーズハイのように、最初のしんどさを越えたあと、身体が軽くなる瞬間があります。
筋トレや習慣づくりも同じで、ある地点を越えると、続けること自体が苦ではなくなる。
学びもまた、身体がモードに入ることで、質が変わっていきます。

魚よりも、釣りの構造を手に入れるということ

よく「魚を与えるより、魚の釣り方を教えよ」と言われます。
魚は一時的な成果ですが、釣りは構造です。

構造を手に入れると、ゼロからでも立ち上がれる感覚が生まれます。
それは、成果が減る不安を和らげ、投資と回収を「怖くないもの」に変えてくれます。

「よい学び」は、実践の中でしか見分けられない

よい学びは、頭で理解しただけでは見分けがつきません。
実践の中で使われ、循環し、身体に残ったものだけが残ります。
よいものとは、人生の中で回り続けるものです。

投資と回収は、数字よりも先に「感覚」で始まる

投資と回収は、数字よりも先に感覚で始まります。
何に時間を投じ、何が自然に返ってきているのか。
その循環に気づいたとき、学びは静かに、しかし確かに人生を支えはじめます。


釣り針のない糸を、
ただ水面に垂らしていた人がいたという。

獲るためではなく、
関係がひらくのを待つために。

学びも、投資も、
急がなくていいのかもしれません。

流れに身を置いたとき、
回収は、あとから静かにやってきます。

いま、あなたが
静かに糸を垂らしている場所は、
どこでしょうか。

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竹中 慎吾

竹中 慎吾

しなやかな律と、日常の美しさを探る実践者

北海道苫小牧市に生まれ育つ。東京大学大学院を修了後、外資系テック企業で働きながら起業。 現在は、人・もの・自然をつなぐ活動を軸に、自己の律と他者との共生を探求しています。 APLFでは「自分らしく、しなやかに生きる」ための実践知を静かに発信し、日々の整えから人生の投資と回収まで、思考と行動を重ねながら日常の美しさを見つけ続けています。

  1. 魚ではなく、循環を手に入れる

  2. 存在と関係のモデル──ノードと矢印で読み解く人生設計

  3. 大人の遊びの設計図──山梨の一日をモデル化する

このメディアをつくっている人

Shingo Takenaka

APLF主宰

しなやかに、自分の律で生きる
人と自然、もののめぐりを見つめながら
東大院|外資テック|起業10年

.
都市の風景にも、
ふと“呼吸”のような瞬間がある。

光の角度が変わり、
色づいた並木が浮かび上がるとき。

あわただしい日々の中にも、
季節は確かに流れている。
.
失われていくものには、静かな美しさがある。

街も、人も、建物も、生きているように変わっていく。
生まれ、育ち、そして少しずつ朽ちていく。

その流れは止められない。
だからこそ、心が動くのだと思う。

かつて誰かが暮らし、笑い、
生活の音があったはずの場所に立つと、
そこに残る “気配” に触れることがある。

完全には戻らないもの。
もう取り戻せない時間。

その不可逆さが、優しさや懐かしさを生む。

失われるからこそ、
大切にしようと思えるし、
誰かに優しくなれたり、
いまを丁寧に味わえるようになったりする。

衰えることは、ただのマイナスではない。
そこから新しい命や文化が生まれ、
誰かが受け継ぎ、形を変えながら残っていく。

すべてが永遠に続く世界より、
終わりがある世界のほうが、きっと美しい。

生命も、街も、建物も、
変わっていくことで息をしている。

その無常を抱きしめながら、
今日をちゃんと生きていきたい。
関係の中で生まれるもの

ものも人も、それだけで存在するわけじゃない。
必ず「関係」の中で生まれ、育ち、続いていく。

酒もそう。
作り手、土地の水、作物、微生物、受け継がれた技──
無数の関係が折り重なり、ようやく一杯になる。

北鎮記念館には、煙草の展示が多く並んでいた。
現代では“なくてもよいもの”に見えるけれど、
命がけの場にいた人たちにとっては、
それは 生きるための小さな余白 だったのかもしれない。

煙は祭事にも使われ、魔を払う象徴でもある。
酒と同じく、人が「人でいられるため」に
長く寄り添ってきた存在なのだと感じた。

時が関わるものは、おもしろい。
先人たちの時間を、いま自分が口にしているような感覚がある。

酒を必要としない生き方もあるけれど、
ときに少しゆるめて、人生に“遊び”をつくる。
そんな意味では、酒は神さまからの贈り物のように思う。

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