しなやかに、自分の律で生きるための実践知メディア

つながり

名刺は、動き出したあとに現れた

必要なものは、
先に決めなくてもいい。

流れが生まれ、
身体が動き、
気づいたとき、
そこに置かれるものがある。


名刺は、前から作りたいと思っていました。
ただ、いつ作るかは、ずっと未定のままでした。
必要だとは感じていましたが、急ぐ理由も、切羽詰まった事情もありませんでした。

名刺がなくても、すでに動いていた

APLFの活動自体は、名刺がなくても進んでいました。
記事を書き、構造を整え、対話し、体験を重ねていく中で、関係は少しずつ生まれていました。

名刺がないことに、大きな不自由さを感じていたわけでもありません。
むしろ、名刺を持たずに話している時間のほうが、自分には自然に感じられることも多かったです。

名刺は必要だと思っていましたが、
「それがないと始まらないもの」ではありませんでした。

北海道を旅して、流れが整いはじめた

そんな中で、北海道を旅してきました。

旅のあいだや、戻ってからの時間の中で、
APLFの構造をあらためて見直し、整理し直していました。
頭で理解していたものが、少しずつ身体の感覚としても馴染んできたように思います。

旅の途中や、帰ってきてから投稿した北海道旅編の発信も、
思いのほか、よい手応えがありました。

無理に何かを進めたわけではありません。
けれど、振り返ると、いくつかの歯車が静かに噛み合っていたように感じます。

「名刺でも、やるか」という感覚

旅から戻ってしばらくして、ふと、そんな気持ちが浮かびました。

名刺、そろそろやってもいいかもしれない。

強い決意があったわけではありません。
「作らなければならない」という義務感でもありません。
どちらかというと、「名刺でも、やるか」という少し力の抜けた感覚でした。

APLFにとって必要なものが、
「いまなら、ここに置いてもいい」
そんなタイミングに来たように思えたのです。

思っていたより、あっけなく終わった

正直なところ、名刺作りは結構大変な作業になるだろうと思っていました。
デザインや紙、余白、ロゴの扱い。
印刷仕様を決め、入稿まで持っていく。やるなら腰を据えて、と思っていました。

けれど、相談しながら進めてみると、
2〜3時間ほどで、デザインから入稿まで、ひと通り終わってしまいました。

驚くほど、あっけなかったです。

簡単だったのではなく、積み重ねがあった

それは、作業が簡単だったからではありません。
むしろ逆で、これまで積み重ねてきたものが、迷いを減らしてくれていたのだと思います。

APLFの世界観。
ロゴに込めた意味。
余白の取り方。
何を語り、何を語らないか。

考え続けてきた時間があったからこそ、
「ここで迷う」という地点が、自然と削ぎ落とされていました。

名刺のあとに、器を考える

名刺が出来てから、次に考えたのが名刺入れのことでした。

はじめは、革もいいかもしれないと思いました。
金属も悪くないと思いました。
けれど、どこか決めきれない感覚がありました。

APLFが扱っているのは、即効性や効率よりも、
時間や余白、生命のリズムのようなものです。
そう考えたとき、やはり「木」が合いそうだと思いました。

手触りや経年の変化を含めて、
使われながら、その役割が定まっていく器がいい。
そんな感覚でした。

役割は、あとから落ち着く場所を見つけます。
先に渡されるものではなく、
関係の余韻として、静かに現れる。
木の名刺入れ(APLFの刻印)

旭川で見ていた、木の名刺入れ

11月初旬の北海道旅では、旭川にも立ち寄りました。
旭川デザインセンターで、家具や道具を見て回ったことを覚えています。

その中に、木の名刺入れがありました。
そのときは「いいな」と思っただけで、何かを決めたわけではありません。

けれど、その記憶は残っていました。

木の名刺入れは、他の土地にもあります。
それでも、出身地である北海道のものがいいと思いました。
あのときの感覚と、いまの自分が、あとからつながってきたように感じます。

名刺は、しまわれて落ち着いた

木の名刺入れに収めたとき、
名刺はようやく、落ち着いた場所を見つけた気がしました。

名刺入れには、
小さく「APLF」という文字を刻んでもらいました。

何かを主張したかったわけではありません。
ただ、これは仮の置き場ではなく、
いまの活動のための器であってほしかった。

これは、配るための道具ではありません。
関係を始める合図でもありません。

関係が生まれたあとに、そっと手渡されるもの。
名刺は主役ではなく、関係の余韻として、あとから現れます。


先に名前を渡すのではなく、
先に時間を過ごす。

先に説明するのではなく、
先に関係が育つのを待つ。

名刺は、
そのあとでいいのかもしれません。

すでに動き出していた流れの中で、
ふと現れるものを、
受け取れるように。

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Shingo Takenaka

Shingo Takenaka

しなやかな律を探る実践者|APLF主宰

北海道・苫小牧市に生まれ育つ。東京大学大学院を修了後、外資系テック企業で働きながら起業。 現在は、人・もの・自然をつなぐ活動を軸に、自己の律と他者との共生を探求しています。 APLFでは「自分らしく、しなやかに生きる」ための実践知を静かに発信し、日々の整えから人生の投資と回収まで、思考と行動を重ねながら日常の美しさを見つけ続けています。

  1. 0の側に触れた夜— 向きが変わっていたことについての記録

  2. 静かな呼吸としてのAPLF─ 強い言葉を使わない、という選択について

  3. 世界と距離を取るという、生き方 ─ ここにいながら、巻き込まれすぎない

このメディアをつくっている人

Shingo Takenaka

APLF主宰

しなやかに、自分の律で生きる
人と自然、もののめぐりを見つめながら
東大院|外資テック|起業10年

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去年の旭山で。

何をしているのかは、よく分からない。
でも、ずっと見ていられた。
.
光の向きで、部屋の表情が変わる。
ゆっくりと火の季節になってきた。
.
ひとりで歩く夜でも、
どこかで誰かとつながっている気がする。

看板の灯りや、店に流れる小さな気配が、
そっとこちらの歩幅を整えてくれる。

この街の夜にも、静かなやさしさがある。

日々、誰かや何かとの出会いがあって、
それが過剰な意味を持たなくてもいい。
気負いすぎず、気負わなすぎず、
ただ今日を歩いていけばいい。
.
失われていくものには、静かな美しさがある。

街も、人も、建物も、生きているように変わっていく。
生まれ、育ち、そして少しずつ朽ちていく。

その流れは止められない。
だからこそ、心が動くのだと思う。

かつて誰かが暮らし、笑い、
生活の音があったはずの場所に立つと、
そこに残る “気配” に触れることがある。

完全には戻らないもの。
もう取り戻せない時間。

その不可逆さが、優しさや懐かしさを生む。

失われるからこそ、
大切にしようと思えるし、
誰かに優しくなれたり、
いまを丁寧に味わえるようになったりする。

衰えることは、ただのマイナスではない。
そこから新しい命や文化が生まれ、
誰かが受け継ぎ、形を変えながら残っていく。

すべてが永遠に続く世界より、
終わりがある世界のほうが、きっと美しい。

生命も、街も、建物も、
変わっていくことで息をしている。

その無常を抱きしめながら、
今日をちゃんと生きていきたい。

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