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整え

整え|実践|歪む前に、手を止める

─ 壊れるほど頑張らないための整え

整えが必要になるのは、
動けなくなったときだけではありません。

むしろ、
動けているとき、
回っているとき、
評価されているときほど、
整えは抜け落ちやすい。

調子がいいときほど、整えは後回しになる

手応えがある。
説明できる。
周囲も納得している。

その状態では、
わざわざ立ち止まる理由が見つかりません。

けれど、
整えが必要になる歪みは、
「困った」ときではなく、
「うまくいっている」ときに静かに始まります。

この段階では、
疲れていないし、
迷ってもいない。

ただ、
どこかで速度が合わなくなっている。

歪みは「違和感」ではなく「納得感」で始まる

危険なのは、
分からなくなることではありません。

分かりすぎること。
説明できすぎること。
自分でも納得してしまうこと。

その納得感が、
本来まだ揺れていたはずの部分を、
早く固めてしまう。

この段階では、
違和感はほとんど出ません。

代わりに、
「これでいい」という感覚だけが残ります。

ここで必要なのは、回復ではなく微調整

まだ壊れていない状態に、
休養やリセットは必要ありません。

必要なのは、
進むことをやめることでも、
何かを足すことでもなく、

速度を戻すことです。

この整えは、
回復ではありません。

歪みが広がる前に、
元のリズムへ戻るための、
小さな調整です。

歪み始めたときの、小さな整え

この段階での整えは、
目立たないものばかりです。

  • 記録を書くが、
    結論を出さない
  • 決断を先送りする理由を、
    無理に正当化しない
  • 相談しない
    (判断を預けない)
  • 整理しないメモを、
    そのまま残す

どれも、
効率的には見えません。

けれど、
早く整えすぎないことで、
壊さずに戻れる余白が生まれます。

整えとは、自分の速度に戻ること

整えは、
前進の準備ではありません。

休止でも、
反省でもない。

自分が無理なく動ける速度に、
戻るための行為です。

速すぎず、
遅すぎず、
そのときの自分に合ったリズム。

それを失わなければ、
大きく整え直す必要はなくなります。



※この整えは、「律|深める #3」で扱った「歪みが生まれる地点」と対になっています。

関連する律:
律|深める #3|歪みとして現れる、律の場所

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Shingo Takenaka

Shingo Takenaka

しなやかな律を探る実践者|APLF主宰

北海道・苫小牧市に生まれ育つ。東京大学大学院を修了後、外資系テック企業で働きながら起業。 現在は、人・もの・自然をつなぐ活動を軸に、自己の律と他者との共生を探求しています。 APLFでは「自分らしく、しなやかに生きる」ための実践知を静かに発信し、日々の整えから人生の投資と回収まで、思考と行動を重ねながら日常の美しさを見つけ続けています。

  1. 0の側に触れた夜— 向きが変わっていたことについての記録

  2. 静かな呼吸としてのAPLF─ 強い言葉を使わない、という選択について

  3. 世界と距離を取るという、生き方 ─ ここにいながら、巻き込まれすぎない

このメディアをつくっている人

Shingo Takenaka

APLF主宰

しなやかに、自分の律で生きる
人と自然、もののめぐりを見つめながら
東大院|外資テック|起業10年

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去年の旭山で。

何をしているのかは、よく分からない。
でも、ずっと見ていられた。
.
光の向きで、部屋の表情が変わる。
ゆっくりと火の季節になってきた。
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ひとりで歩く夜でも、
どこかで誰かとつながっている気がする。

看板の灯りや、店に流れる小さな気配が、
そっとこちらの歩幅を整えてくれる。

この街の夜にも、静かなやさしさがある。

日々、誰かや何かとの出会いがあって、
それが過剰な意味を持たなくてもいい。
気負いすぎず、気負わなすぎず、
ただ今日を歩いていけばいい。
.
失われていくものには、静かな美しさがある。

街も、人も、建物も、生きているように変わっていく。
生まれ、育ち、そして少しずつ朽ちていく。

その流れは止められない。
だからこそ、心が動くのだと思う。

かつて誰かが暮らし、笑い、
生活の音があったはずの場所に立つと、
そこに残る “気配” に触れることがある。

完全には戻らないもの。
もう取り戻せない時間。

その不可逆さが、優しさや懐かしさを生む。

失われるからこそ、
大切にしようと思えるし、
誰かに優しくなれたり、
いまを丁寧に味わえるようになったりする。

衰えることは、ただのマイナスではない。
そこから新しい命や文化が生まれ、
誰かが受け継ぎ、形を変えながら残っていく。

すべてが永遠に続く世界より、
終わりがある世界のほうが、きっと美しい。

生命も、街も、建物も、
変わっていくことで息をしている。

その無常を抱きしめながら、
今日をちゃんと生きていきたい。

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