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投資と回収

道具を揃えるということ

─ 役に立てる場所に立つための投資

役に立つ、という言葉は、
どこか気恥ずかしい。

けれど、
誰かが一歩前に立たなければ、
場は、少しだけ重くなる。


旅に出るとき。
人が集まるとき。
何かを決めなければならないとき。

その場に、
「すぐ動ける人」や
「聞けば分かる人」がいるだけで、
流れは驚くほど軽くなります。

それは、
目立つ役割ではありません。

けれど、
不確実な部分を、
そっと引き受けている人がいるかどうかで、
体験の質は大きく変わります。

道具への投資は、役割への投資でもある

道具にお金をかけるというと、
便利さや効率の話になりがちです。

けれど実際には、
道具が引き受けているのは、
作業そのものよりも、
判断や迷いのほうかもしれません。

まだ大丈夫だろうか。
足りるだろうか。
ここで止まるべきだろうか。

そうした小さな判断が、
日々の中で何度も立ち上がり、
集中や余白を静かに削っていきます。

道具を整えるというのは、
そうした判断を、
あらかじめ外に預けておく、
という選択でもあります。

iPhoneを毎年買い替えている理由

私は、iPhoneを毎年買い替えています。

それは、
新しいものが欲しいからではありません。

さくさく動くこと。
バッテリーの劣化を気にしなくていいこと。
いま、この場で確実に使えるという安心。

iPhoneは、
連絡、記録、撮影、調べ物までを担う、
身体にかなり近い道具です。

ですから、これは「ガジェット選び」というより、
自分の立ち位置を支える基盤を、
定期的に更新している感覚に近いものです。

だからこそ、
迷いを残した状態で使い続けるより、
「考えなくていい状態」を維持することを選んでいます。

毎年買い替えると聞くと、
無駄に思われることもあります。

けれど実際には、
一年前の機種は比較的高値で手放せますし、
劣化や不安を抱えながら使い続ける期間もありません。

結果としてこれは、
無理をして続けている習慣ではなく、
私自身の立ち位置にとって、
自然に成立している投資だと感じています。

「知っている」という状態が、場を軽くする

もうひとつ、
この選択が役に立っていると感じる場面があります。

新しい機能を試し、
使いどころを身体で把握していると、
誰かに聞かれたときに、
ほとんど考えずに答えられます。

その一言で、
調べる時間が省けたり、
迷いが減ったり、
場の流れが止まらずに済むことがあります。

これは、
目立つ価値ではありません。

けれど、
摩擦が起きやすい場所に、
静かに橋をかける、
ひとつの役割ではあると感じています。

もちろん、
誰にとっても必要な立ち位置ではありません。

すべての場で前に立つ必要はありませんし、
そうでない関わり方も、
同じくらい大切だと思っています。

ただ、
人が集まる場に身を置くことが多いのであれば、
「知っている」「使える」という状態が、
個人の満足ではなく、
場への投資として働くこともあります。

小さなまとめ

投資とは、
得をするために、
何かを我慢することではありません。

自分が立ちたい場所に、
ちゃんと立てる状態を、
先につくっておくこと。

道具を揃えるというのは、
そのための、
とても静かな準備だと、
私は思っています。


※この記事は、日々の体験や対話の中で、
後から輪郭を持ってきた感覚を、
ひとつの記録として整理したものです。

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Shingo Takenaka

Shingo Takenaka

しなやかな律を探る実践者|APLF主宰

北海道・苫小牧市に生まれ育つ。東京大学大学院を修了後、外資系テック企業で働きながら起業。 現在は、人・もの・自然をつなぐ活動を軸に、自己の律と他者との共生を探求しています。 APLFでは「自分らしく、しなやかに生きる」ための実践知を静かに発信し、日々の整えから人生の投資と回収まで、思考と行動を重ねながら日常の美しさを見つけ続けています。

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このメディアをつくっている人

Shingo Takenaka

APLF主宰

しなやかに、自分の律で生きる
人と自然、もののめぐりを見つめながら
東大院|外資テック|起業10年

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去年の旭山で。

何をしているのかは、よく分からない。
でも、ずっと見ていられた。
.
光の向きで、部屋の表情が変わる。
ゆっくりと火の季節になってきた。
.
ひとりで歩く夜でも、
どこかで誰かとつながっている気がする。

看板の灯りや、店に流れる小さな気配が、
そっとこちらの歩幅を整えてくれる。

この街の夜にも、静かなやさしさがある。

日々、誰かや何かとの出会いがあって、
それが過剰な意味を持たなくてもいい。
気負いすぎず、気負わなすぎず、
ただ今日を歩いていけばいい。
.
失われていくものには、静かな美しさがある。

街も、人も、建物も、生きているように変わっていく。
生まれ、育ち、そして少しずつ朽ちていく。

その流れは止められない。
だからこそ、心が動くのだと思う。

かつて誰かが暮らし、笑い、
生活の音があったはずの場所に立つと、
そこに残る “気配” に触れることがある。

完全には戻らないもの。
もう取り戻せない時間。

その不可逆さが、優しさや懐かしさを生む。

失われるからこそ、
大切にしようと思えるし、
誰かに優しくなれたり、
いまを丁寧に味わえるようになったりする。

衰えることは、ただのマイナスではない。
そこから新しい命や文化が生まれ、
誰かが受け継ぎ、形を変えながら残っていく。

すべてが永遠に続く世界より、
終わりがある世界のほうが、きっと美しい。

生命も、街も、建物も、
変わっていくことで息をしている。

その無常を抱きしめながら、
今日をちゃんと生きていきたい。

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