しなやかに、自分の律で生きるための実践知メディア

やり方は、静かに伝染する

─ 整えてきたことが、参照され始めた記録

教えようとしなくても、
伝わってしまうことがある。

それは、
言葉の力というより、
状態の力かもしれない。


何かを人に伝えようとするとき、
私たちはつい、
「どう説明するか」を考えます。

けれど最近、
少し違う感覚を持つようになりました。


説明していないのに、
参考にされている。

そんな場面が、
ぽつりぽつりと、
増えてきたのです。

もともとは、すべて自分のためだった

名刺をつくったのも、
その名刺をしまうケースを選んだのも、
自分のためでした。

世界観をどう伝えるか。
どんな手触りを持たせるか。

誰かに見せるためというより、
自分が納得できる形に、
整えていった結果です。

けれど、
それを実際に手に取ってもらうと、
思いがけず、
会話が生まれることがありました。

「これはいいですね」
「こういう考え方もあるんですね」

こちらが説明する前に、
何かが伝わっている。

一緒に確認する、という距離感

同じようなことは、
ツールや仕組みについて話すときにも、
起きています。

何か新しい仕組みを使い始めたとき、
「知っている/知らない」という差よりも、
前提を一緒に確認する時間が、
自然に生まれることがあります。

それは、
教えるでもなく、
教えられるでもなく、

「そうなっているんですね」
「なるほど、そういう流れなんですね」

と、
並んで眺めるような感覚です。

そのやりとり自体が、
何かの参考になっているのだとしたら、
それは、
私がうまく説明したからではないと思っています。

工夫ではなく、積み重ね

思考の整理や、
情報の扱い方についても、
同じことを感じます。

特別なノウハウがあるわけではありません。

ただ、
繰り返し使い、
少しずつ整え、
自分に合う形にしてきただけです。

その結果として、
何度も説明しなくて済んだり、
話が早く進んだりする場面が、
増えてきました。

それが、
誰かの目に留まり、
「そのやり方、いいですね」と言われることがある。

私自身は、
その変化を、
どこか不思議な気持ちで眺めています。

やり方は、主張しなくてもいい

ここで、
ひとつ大事にしていることがあります。

それは、
やり方を、主張しないということです。

これは正しい。
これが一番だ。

そう言ってしまうと、
たちまち、
文脈から外れてしまいます。

けれど、
整っている状態は、
主張しなくても、
必要な人に拾われていく。

最近起きているのは、
そういう現象なのかもしれません。

フェーズの記録として

これは、
ノウハウの共有ではありません。

何かを教える話でも、
ありません。

ただ、
自分の中で、
ひとつのフェーズが、
静かに切り替わりつつある。

その感覚を、
忘れないように、
記録として残しておきたいと思いました。

小さなまとめ

整えることは、
見せるためではありません。

けれど、
整え続けていると、
いつの間にか、
参照されることがあります。

やり方は、
静かに伝染する。

それは、
意図した結果ではなく、
状態の副産物のようなものだと、
今は感じています。


※この記事は、特定の方法やツールを推奨するものではなく、
日々の実践の中で起きた変化を、
フェーズの記録として整理したものです。

APLFの更新を、LINEで静かにお届けします

日常の小さな選択や行動の中に、
感性をひらく“遊び”の余白があります。

「大人の遊びかた研究室」では、
そんな実験や気づきを、静かにシェアしています。

研究室をのぞいてみる ➝

  • この文章を書いている人
  • 最近の実践と気づき
Shingo Takenaka

Shingo Takenaka

しなやかな律を探る実践者|APLF主宰

北海道・苫小牧市に生まれ育つ。東京大学大学院を修了後、外資系テック企業で働きながら起業。 現在は、人・もの・自然をつなぐ活動を軸に、自己の律と他者との共生を探求しています。 APLFでは「自分らしく、しなやかに生きる」ための実践知を静かに発信し、日々の整えから人生の投資と回収まで、思考と行動を重ねながら日常の美しさを見つけ続けています。

  1. 0の側に触れた夜— 向きが変わっていたことについての記録

  2. 静かな呼吸としてのAPLF─ 強い言葉を使わない、という選択について

  3. 世界と距離を取るという、生き方 ─ ここにいながら、巻き込まれすぎない

このメディアをつくっている人

Shingo Takenaka

APLF主宰

しなやかに、自分の律で生きる
人と自然、もののめぐりを見つめながら
東大院|外資テック|起業10年

.
去年の旭山で。

何をしているのかは、よく分からない。
でも、ずっと見ていられた。
.
光の向きで、部屋の表情が変わる。
ゆっくりと火の季節になってきた。
.
ひとりで歩く夜でも、
どこかで誰かとつながっている気がする。

看板の灯りや、店に流れる小さな気配が、
そっとこちらの歩幅を整えてくれる。

この街の夜にも、静かなやさしさがある。

日々、誰かや何かとの出会いがあって、
それが過剰な意味を持たなくてもいい。
気負いすぎず、気負わなすぎず、
ただ今日を歩いていけばいい。
.
失われていくものには、静かな美しさがある。

街も、人も、建物も、生きているように変わっていく。
生まれ、育ち、そして少しずつ朽ちていく。

その流れは止められない。
だからこそ、心が動くのだと思う。

かつて誰かが暮らし、笑い、
生活の音があったはずの場所に立つと、
そこに残る “気配” に触れることがある。

完全には戻らないもの。
もう取り戻せない時間。

その不可逆さが、優しさや懐かしさを生む。

失われるからこそ、
大切にしようと思えるし、
誰かに優しくなれたり、
いまを丁寧に味わえるようになったりする。

衰えることは、ただのマイナスではない。
そこから新しい命や文化が生まれ、
誰かが受け継ぎ、形を変えながら残っていく。

すべてが永遠に続く世界より、
終わりがある世界のほうが、きっと美しい。

生命も、街も、建物も、
変わっていくことで息をしている。

その無常を抱きしめながら、
今日をちゃんと生きていきたい。

関連記事

PAGE TOP