Choosing Not to Complete
外縁|星の光が届いているあいだに(15)
ここまで、
多くのことを書いてきた。
存在の残り方。
境界の揺らぎ。
観測という行為。
心とテクノロジー。
感じることと動くこと。
非人間的な知性。
態度としての生き方。
日常、選び方、投資と回収。
価値の交換と価格。
振り返れば、
ずいぶん遠くまで来たようにも思える。
けれど、
ここで何かを「まとめる」気には、
あまりなれない。
結論を出そうとすると、
どこか嘘になる。
むしろ、
このシリーズ全体は、
ひとつの主張を完成させるためのものではなかった。
問いを整理するでも、
思想を提示するでもない。
立ち位置を、
少しずらすための通過点。
だったのだと思う。
完成とは、
どこか安心の形に見える。
分かった。
理解した。
これでいい。
けれど、
生命のあり方を見ていると、
完成という状態は、
ほとんど現れない。
感じて、
動いて、
外れて、
調整する。
この循環は、
終わらない。
完成させる、ということは、
どこかで、
この循環を止めることでもある。
近代は、
完成させる力を高めてきた。
効率化し、
最適化し、
再現性を上げる。
それによって、
多くのものが救われた。
同時に、
完成させすぎることで、
関係が止まってしまう場面も増えた。
だから、
完成させないという選択は、
未熟さの表明ではない。
関係を止めないための態度。
だ。
APLFが、
説明しきらないのも、
完成形を示さないのも、
ここに理由がある。
分かってもらうことより、
関係が続くことを選ぶ。
納得よりも、
違和感が残ることを許す。
体験も、
対話も、
場も、
すべて、
「ここで完結させない」
設計になっている。
それは、
責任を放棄しているのではない。
むしろ、
受け取った人の側で、
何かが続いてしまうこと。
を引き受けている。
このシリーズを読んで、
何かが分かったなら、
それはそれでいい。
何も分からなかったとしても、
それも悪くない。
どこかで、
選び方が少し変わる。
距離の取り方が、
少し変わる。
それくらいで、
十分だと思っている。
生き方は、
設計図にはならない。
けれど、
完成させないという態度は、
今日も明日も、
更新できる。
この文章は、
結論ではない。
ここで、
いったん沈む。
そして、
またどこかで、
関係が結ばれ直されるなら、
それでいい。
APLFは、何かを完成させるための場所ではない。
生き方が、未完成なまま続いてしまうための、
一時的な通過点だ。