Facing Another Direction, While Staying Here
ここにいながら、
向きだけが、少しずつ変わっていた。
それは、移動ではなく、
立ち位置の中で起きた転回だった。
この社会の中で、生きられていないと感じたことは、あまりない。
与えられた環境の中で、
求められることをこなし、
結果を出し、評価される。
そうした流れの中で生きていくこと自体に、
強い抵抗があったわけではなかった。
何かが決定的に間違っている、というほどではない。
けれど、どこかで、
自分が向いていたい方向と、
社会の流れとが、完全には重なっていない。
その輪郭が、少しだけはっきりした出来事がある。
入社して間もない頃、
リーマン・ショックの影響で、
周囲の多くの人が職を失った。
同期や、上司や、先輩たち。
能力や努力とは関係なく、
役割や立場によって切り分けられていく現実。
何かできないかと、ただ必死に働いてみても、
個人の行動で変わることは、ほとんどなかった。
そのとき初めて、
これは誰かが悪いという話ではなく、
構造そのものの問題なのではないか、
そう感じるようになった。
似た感覚は、別の場所でも繰り返し現れた。
国同士が対立し、争いが生まれる一方で、
個人同士では、特に問題がないことも多い。
人が悪いというより、
関係の結び方や、置かれた構造が、
現実をそう見せているように思えた。
問題は、ひとつひとつの点ではなく、
点と点のあいだにあるもの。
ノードではなく、関係性そのもの。
そうした見え方が、少しずつ自分の中に根を下ろしていった。
一方で、この社会は、確かによくできている。
効率を高め、
仕組みを整え、
成果を積み上げていく。
その延長線上に、
豊かさがあると信じられてきた。
高度経済成長以降、
感じることと、動くことが切り離され、
動くことは、より速く、より正確に、
機械や仕組みに委ねられていった。
金やものを生み出すことが、
会社の目的になり、
社会の目的になり、
いつしか個人の目的にもなっていった。
それ自体を否定したいわけではない。
ただ、その流れの中で、
どこかに置き去りにされているものがあるように感じていた。
土に触れずに作物を育てること。
人の手を介さずに成果を出すこと。
便利さの裏側で、
抜け落ちていく感覚が、確かにあった。
そうした違和感から逃げるように、
別の世界へ行きたかったわけではない。
精神世界に籠るつもりもなければ、
社会から降りたいわけでもなかった。
むしろ、この場所で生き続けたいという思いの方が強かった。
だからこそ、どう関わるかを考え続けていた。
起業前にも、動き回った時期もあった。
何をすればいいのか分からないまま、
とにかく外に出て、人と会い、場に身を置いた。
一時期、ネットワークビジネスにも触れた。
合わない部分も多く、結果的には離れたけれど、
その内側には、学びや一体感、
人が惹きつけられる理由も確かに存在していた。
単純に善悪で切り分けられるものではない。
そう感じたことも、記憶に残っている。
技術と心が分断された世界の話に触れたとき、
点在していた感覚が、静かにつながっていった。
敵を倒すことでもなく、
どちらかが勝つことでもなく、
関係そのものを組み替えるという発想。
交渉や対話、
矛盾を抱えたまま統合へ向かう考え方にも、
自然と惹かれていった。
自分がやりたいのは、
何かひとつに特化することではない。
得意なことだけを選ぶことでもない。
苦手なことも含めて触れ、
その上で見えるものを見たい。
全部を知りたい、というより、
全部を通った場所からでなければ、
語れないことがある気がしていた。
大きな力があるわけでもなく、
明確に「これができる」と言えるものも少ない。
それでも、切り捨てられてしまいがちな感覚や関係性を、
同じ場に置いておきたいと思っている。
別の場所をつくるのではなく、
ここにいながら、向きを変える。
同じ世界に立ったまま、
少しだけ、違う方向を向いて生きる。
これは思想でも、答えでもない。
ただ、そういう場所に立ち続けている、という記録だ。
