How Much of the World Can One Person Carry
生きていると、
「自分の責任」という言葉に出会う場面が増えていく。
選んだのは自分なのだから。
決めたのは自分なのだから。
そう言われると、
世界で起きる出来事まで、
自分の内側に引き寄せてしまいそうになる。
責任という言葉の重さ
責任という言葉は、
本来、行為と結果をつなぐためのものだった。
しかしいつのまにか、
それは存在そのものを縛る言葉へと変わっていく。
うまくいかなかった理由。
関係が壊れた原因。
報われなかった努力。
それらすべてを、
「自分の至らなさ」として背負ってしまうことがある。
個人では引き受けきれないものがある
だが、世界には明らかに、
一人の人間では引き受けきれない重さが存在する。
時代の流れ。
構造の歪み。
偶然の重なり。
それらは、
どれほど誠実であっても、
努力や意思だけでは変えられない。
それでも「自分の責任だ」と感じてしまうとき、
人は静かに摩耗していく。
役割と「私」は同一ではない
私たちは多くの役割を担って生きている。
仕事上の立場。
家族としての位置。
社会の中で期待される振る舞い。
役割は世界と関わるための窓であり、
必要なものでもある。
しかし、
役割と存在そのものが重なりすぎると、
境界が曖昧になっていく。
役割が傷ついたとき、
自分自身が否定されたように感じてしまう。
関わることと、背負うことは違う
世界と関わることと、
世界をすべて背負うことは同じではない。
関わるとは、応答することであり、
出来事の一部として動くことだ。
背負うとは、
本来分散されるはずの重みを、
一人で抱え込むことでもある。
すべてを引き受けようとすると、
関係は硬直し、
流れは止まってしまう。
引き受けられる範囲を知る
どこまでを自分の責任とするか。
どこから先は、世界に返すのか。
その線引きは、
冷たさではなく、誠実さに近い。
引き受けられないものを引き受けないことは、
逃避ではなく、自分の限界に触れるという行為である。
限界を知ることで、
はじめて関係は呼吸を取り戻す。
次章へ
引き受けすぎないことは、
世界から距離を取ることでもある。
それは断絶ではなく、
同化しすぎないための間合いだ。
次章では、
戦うでも、逃げるでもない、
もうひとつの関わり方──
世界と距離を取るという生き方を見ていく。
深層シリーズ 第Ⅱ部 記事一覧
第Ⅱ部では、生命が立たされている
「世界の側」に、そっと視線を移していきます。
