Remaining Within the Structure
『ウィキッド』を観ていて、もうひとつ残った感覚がある。
エルファバは、その構造の外に出ていく。
グリンダは、その中に残る。
どちらが正しい、という話ではなかった。
ただ、どこに立つかによって、見えるものが変わっていく。
エルファバは、自分のままであろうとして、外れていく。
グリンダは、違和感を抱えながらも、その中にとどまる。
おそらく、そのどちらもが必要なのだと思う。
外に出ることでしか見えないものがあり、
中に残ることでしか触れられないものがある。
自分はどちらだろうか、と少し考える。
いまはまだ、社会の中に残っている。
会社員として働きながら、関係の中にいる。
ただ、その中で見えているものは、以前とは少し違っている。
構造そのものを変えることはできないとしても、
その中で、何かをつなぐことはできるのではないか。
あるいは、つなごうとしているのかもしれない。
それは、小さな関係の中で起きることかもしれないし、
まだ形になっていないものかもしれない。
外に出るという選択も、どこかには残っている。
ただ、いまはそこにいるというだけのことでもある。
中に残ることと、そこにとどまり続けることは、
同じではないのかもしれない。
そのあいだで、何を見て、どう関わるか。
それが、いま自分にとってのひとつの問いになっている。