Quietly, As It Is
APLFについて、
「主張していないが、立っている」
という表現が、いまの感覚に近い。
ただ、それは
声が弱くなった、
言葉がなくなった、
という話ではない。
強い言葉を使うことも、
人を動かすために
意図的に主張を組み立てることも、
これまで何度もやってきた。
マーケティングや心理、
言葉の構造や距離感を考えながら、
届く形に整えることも、
必要に応じて使ってきた。
APLFでは、
それを「前に出すことをしない」と
決めているだけだ。
できないわけでも、
否定しているわけでもない。
ただ、
この場では使わない。
APLFは、
誰かを説得するためのメディアではなく、
行動を促すための装置でもない。
最初から、
呼吸のようなリズムで続く場所として
立ち上げている。
この半年ほどで起きた変化は、
声の強弱ではなく、
構造の見え方だった。
7月の公開時には、
6つの断面と、
それらに通底する原則だけがあり、
それがそのまま、前に置かれていた。
その後、
別の原理が言葉になり、
さらに、
深層や縁と呼んでいる層も現れた。
それらが増えていく中で、
すべてを同じ場所に並べ続ける必然は、
なくなっていった。
原則や原理は、
消えたわけでも、
引っ込めたわけでもない。
6つの断面や体験の中に、
にじむように含まれ、
辿り着ける場所として、
置き直されただけだ。
深層もまた、
前に出て説明するためのものではなく、
全体の在り方を支える層として、
そこにある。
意識して使う言葉と、
意識せずに働く層が、
少しずつ分かれてきただけなのだと思う。
呼吸にも、
苦しいものと、
自然にできるものがある。
いまのAPLFは、
正しい呼吸を教える場所ではなく、
息をしていていい場所を
そのまま置いているだけなのかもしれない。
無理に広めることはしない。
ただ、届く人に届けばいい。
それ以上の操作をしない、
という選択をしている。
呼吸は、一定ではない。
走れば速くなるし、
立ち止まれば、自然と落ち着く。
何かに出会えば、
一瞬、詰まったり、
深く吸い込んだりもする。
だから、
「呼吸を意識しない状態が良い」
というわけでもない。
意識することもあれば、
無意識に任せることもある。
状況によって、
身体が勝手に調整している。
APLFを
呼吸のようなものだとするなら、
それは
一定のリズムを与えるものではない。
出会った人にとって、
その呼吸は、
どう立ち上がるのだろうか。
入口は、
きっと一つではない。
それでもいいと思っている。
APLFに置いているのは、
「多くの人に通じる正解」ではなく、
自分にとって
あまり他に見当たらなかったもの。
やってもいいのではないか、と
感じていること。
そして気づけば、
最初から向いていた場所に、
ようやく立てるだけの厚みが
できてきている。
APLFは、
何かを教えるための場ではなく、
誰かを変えるための装置でもない。
ただ、
それぞれの呼吸が、
続いていく途中に
静かに置かれているもの。
そういう距離感で、
これからも
続いていけばいいと思っている。
この文章は『外縁』に置かれています。
外縁 —— Being Here
