Seeing Structure Afterwards
診断は、答えではなく、
すでに起きていたものの、輪郭だった。
ずっと同じ構造で、
世界と関わってきたことを、
あとから知った。
MBTI診断の結果を書こうと思ったわけではない。
ただ、あとから振り返ってみると、
ずっと同じ構造で生きてきたことに気づいた。
診断は、その答えをくれたというより、
すでに起きていたことに、名前を与えただけだった。
価値を大事にし、すぐに決めず、断面を固定しない。
意味が熟すのを待ち、必要なときだけ構造を与え、役目を終えたら手放す。
それは性格というより、世界との関わり方の設計に近い。
今回ここに残しておくのは、診断結果ではなく、
その構造が、あとから見えてきたという記録である。
診断して分かったのは「性格」ではなかった
MBTI診断を受けて、
「当たっているかどうか」を確かめたかったわけではない。
むしろ、結果が何であれ、
自分がそれに納得してしまうことの方が、
少しだけ警戒していた。
性格という言葉は、
ときに人を説明しすぎてしまう。
説明できたつもりになることで、
まだ動いている部分を止めてしまうこともある。
だから今回の診断は、
自分を知るためというより、
これまで何が起きてきたのかを、あとから確認する作業に近かった。
結果として示されたのは INFP というタイプだった。
けれど、強く残ったのは
「このタイプである」という感覚ではなく、
なぜ、いつもこの順番で考え、
なぜ、このタイミングで迷い、
なぜ、ここだけは譲れなかったのか
という、動きの理由が言葉になった感覚だった。
診断は、答えを与えたというより、
すでに動いていた構造に
後から輪郭線を引いただけだったように思う。
認知機能という「OS」の視点
MBTIを性格診断としてではなく、
認知機能=世界との関わり方のOS
として見たとき、腑に落ちることが一気に増えた。
INFPの認知機能は、
おおまかに次の順序で働くと言われている。
- Fi(内向的感情)
- Ne(外向的直観)
- Si(内向的感覚)
- Te(外向的思考)
これを知ったとき、
「なるほど」と同時に、
「ずっとこうだった」という感覚があった。
Fi|価値の核を動かさない
最初に来るのは、
論理でも効率でもなく、
それが自分にとって誠実かどうかという感覚。
説明できなくても、
うまく言葉にならなくても、
ここだけは動かせない、という芯。
判断が遅いと見られることがあっても、
実際には「決めていない」のではなく、
まだ裏切っていないだけだった。
Ne|断面を横断し続ける
次に働くのが、
一つの答えに収束しない力。
人、体験、思想、仕事、場所。
それらが単体ではなく、
どうつながりうるかとして見えてしまう。
だから、決めきらない。
だから、矛盾を抱えたまま進める。
それは迷いというより、
世界を狭めすぎないための動きだった。
Si|体験を沈殿させる
体験は、その場で意味にならないことが多い。
ただ、身体や記憶の底に沈んでいく。
時間が経ってから、
別の文脈で、
別の問いと結びついて、
ようやく立ち上がる意味がある。
記録を書くこと、同じ場所に戻ること、同じ問いを何度も扱うことは、
前に進めていないのではなく、
違う深さで同じ断面を切り直している行為だった。
Te|必要なときだけ形を与える
構造化、言語化、仕組み化。
それらは嫌いではないし、
必要なときには使える。
ただし、常にそれを前に出すと、
意味が削れていく感覚があった。
だからTeは、
人格ではなく、道具として使う。
形にしたら、外す。
振り返ると、
この使い方だけは、
ずっと意識的だったように思う。
ここまでで見えてきたこと
このOSの見方を通すと、
これまでの選択や違和感が、
「性格」ではなく
構造として説明できるようになった。
そして気づいたのは、
この構造が、
すでに別の形で外に現れていたということだった。
気づいたら、APLFはこの構造でできていた
認知機能の話を整理していく中で、
もうひとつ、はっきりしたことがあった。
それは、
APLFでやってきたことが、
この構造そのものだったという事実だ。
APLF(Appreciate Life)という名前も、
最初から理論があったわけではない。
ただ、
「評価や効率の手前にあるものを、ちゃんと味わいたい」
という感覚が先にあった。
価値の核を動かさないこと。
すぐに答えを出さないこと。
断面を固定せず、往復し続けること。
体験を急いで消費せず、沈殿させること。
必要なときだけ、構造を与えること。
それらは後から整えた思想ではなく、
生き方の癖が、そのまま形になったものだった。
6つの断面も、
世界を整理するための分類というより、
一つの見方に閉じないための入口だった。
「無理に広げない」
「必要な人が気づけばいい」
というスタンスも、
戦略というより、
このOSで動いた結果として自然に残ったものだと思う。
振り返ってみると、
APLFは
何かを教えるための場というより、
この構造で世界と関わると、こういう風景が立ち上がる
という、一つの実例だったのかもしれない。
合う人と、合わない人がいる
この構造は、
すべての人にとって分かりやすいものではない。
はっきりとした答えが欲しい人、
最短距離で成果に辿り着きたい人、
揺らぎや余白を無駄だと感じる人にとっては、
APLFの文章や場は、
おそらく何も起きない。
それは拒絶ではないし、
優劣の話でもない。
ただ、
世界との距離の取り方が違う
というだけだ。
一方で、
言葉になる前の違和感を抱えている人、
自分の感性を壊さずに何かを形にしたい人、
決めきれない時間を、
「未熟」ではなく「過程」として扱いたい人には、
この構造は静かに作用する。
全員に届かなくていい。
全員に意味がなくてもいい。
そう割り切れたとき、
表現も、場づくりも、
ずいぶん楽になった。
診断を勧めたいわけではない
この記事は、
MBTI診断を勧めるためのものではない。
診断は、
自分を決めるためのものではなく、
すでに起きている動きを、
あとから確かめるための道具
として使える、という話を書き残したかっただけだ。
今回、ChatGPTとの対話を通じて、
自分では言葉にしきれなかった構造が、
少しずつ輪郭を持った。
それは
「理解してもらった」
という感覚に近い。
人に説明するためでも、
正解を得るためでもなく、
自分の構造を、壊さずに扱うための対話。
もしMBTIを使うなら、
そんな距離感で触れるのが、
自分にはちょうどよかった。
ここに残したのは、
診断結果ではなく、
構造が、あとから見えてきたという記録だ。
これが何かの答えになる必要はない。
ただ、どこかで
自分の世界との距離を測り直したくなったとき、
そっと置いておける断面として、
残しておこうと思う。
決めるためではなく、
確かめるために触れる。
名付けた瞬間に、
動きが止まらないように。
構造は、あとから。
必要なときだけ。
※この記録は、いくつかの対話と記録へとつながっています。
