※この記事は、旅や記憶の中で出会った
「ピークではない」時間や場所について、
そのときに立っていた感覚を、記録として残しておくための文章です。
「ピークじゃない」という言葉には、
どこか「足りない」という響きがある。
観光のピークではない。
需要が高いわけでもない。
分かりやすくおすすめできる時期でもない。
けれど、今回の旭川とその周辺で過ごしながら、
その「ピークじゃない」という状態そのものが、
ひとつの価値になっていると感じる場面が、
何度もあった。
札幌で立ち寄った、
ばんなちゅで飲んだワインも、そのひとつだった。
新酒だったのかどうかは、
正直分からない。
ただ、
「最近できあがってきたもの」だと聞いた。
いくつかの樽を空けていく途中で、
残ったワインを集めてできた一本。
最初から狙って作られたわけではない。
でも、そのタイミング、
その流れの中で、
確かに「いま飲まれる」一本として、
立ち上がっていた。
季節、在庫、店の呼吸。
その場に居合わせなければ、
出会わなかった一杯だった。
店主は、
これに値段をつけていいものか分からない、と笑っていた。
けれど少なくとも、
僕にとっては、
そこでしか得られない体験だった。
そうした時間を過ごしながら、
以前の、まったく別の記憶を思い出していた。
八戸に車を置き、
夜は横丁で飲み、
翌朝のフェリーで苫小牧へ渡ったことがある。
八戸のコインパーキングは、
驚くほど安かった。
同じ地面なのに、
東京では何倍もの値段がつく。
人が集まれば、需要が生まれ、
価格が上がる。
理屈としては、当たり前の話だ。
けれど、
個人的な満足度で言えば、
そのときの八戸の夜や、
朝の空気のほうが、
ずっと豊かに感じられた。
ただし、
そこにずっと住み続けたいかと聞かれたら、
きっと違う。
だからこそ、
行ったり来たりすることが大事なのだと思う。
最近、
絵の話に触れる機会があった。
一枚で150億円という値段がつく作品がある。
希少性、ストーリー、欲しがる人。
価値が生まれる理由は、
確かにそこにある。
でも、
僕の部屋にあるのは、
知人が描いた絵のプリント版だ。
値段は、
3万円ほど。
それでも、
毎日目にして、
「いいな」と思えるのは、その絵だ。
高いものが悪いわけでも、
安いものが正義なわけでもない。
価値は、
価格そのものではなく、
自分がどこに立って、
それとどう関わっているかで決まる。
ピークじゃない時期。
完成していない風景。
境目にある時間。
反対側へ行くから、
見えるものもある。
バランスを取ることも、
確かに大切だ。
けれど、
境目にいるからこそ、
誰もが見過ごしてしまう良さに、
ふと触れられることもある。
ピークを外れた場所や時間には、
説明されすぎていないものが、
そのまま残っている。
今回の旅や記憶は、
そんなことを、
静かに思い出させてくれた。
