Arriving Without Intending To
気がつくと、
思っていた場所とは、少し違う場所に立っていた、
と思うことがある。
目指していたわけではない。
計画していたわけでもない。
けれど振り返ると、
想像していなかったものが、
いくつも手の中にある。
人はそれぞれ違う。
これは多くの人にとって自然な感覚だと思う。
有名人、経営者、政治家、
オリンピック選手、芸術家。
違う世界にいる人たち。
自分もずっと、
その感覚を持っていた。
同時に、もうひとつの感覚もあった。
どこまで行っても、
結局は同じ人間でもある、という感覚。
百年も生きず、
同じように生まれて死ぬ。
この二つは、
ずっと矛盾せずに並んでいた。
最近、この感覚が少し変わってきた。
「同じ人間」という感覚は変わらない。
けれど、違いの正体が少し違って見えてきた。
能力の差というより、
努力の差というより、
出会ってきたものと関係の数。
接続されているノードの違い。
どれだけ世界と接続されているか。
どれだけ流れの中にいるか。
縁、運、流れ。
情緒、使命、金、役割。
以前は抽象的に感じていた言葉が、
最近は現実の感覚として重なってきた。
突然起きたことではなく、
ずっと体験としてあったものが、
ようやく一本の流れとして見え始めた。
流れの中にいる人がいる。
縁や運、タイミング。
そう呼ばれる出来事。
けれどそれは、
何もせず引き寄せているというより、
流れがある場所にいる、
ということなのかもしれない。
流れはどこにでもあるわけではない。
そこへ移動する力が必要になる。
掴んだというより、
辿り着いた場所で起きたこと。
これまでも、
そういう体験は何度もあった。
けれど最近、
それらが点ではなく、
一本の線として見え始めている。
APLFが動き始めたことも、
最近の体験も、
たまたま同じタイミングで重なった。
だから今、
言葉になり始めている。
選んできた感覚はあまりない。
けれど気がつくと、
立っている場所が変わっている。
辿り着いたというより、
辿り着いてしまったという感覚に近い。
最近、もうひとつ思うことがある。
人は新しい場所へ行くというより、
どこか切断されていた場所へ
戻っているのかもしれない。
出会いも、流れも、運も、
何かを獲得しているというより、
失われていた接続が回復していく感覚に近い。