Relating as a Stance
外縁|星の光が届いているあいだに(08)
人間は、
世界の中心に立ち続けてきた。
少なくとも、
そう振る舞ってきた。
理解し、
分類し、
制御する。
それによって、
世界は「扱えるもの」になった。
自然は資源になり、
時間は管理対象になり、
生命は最適化の対象になった。
その結果、
多くのものがうまく回りはじめた。
同時に、
何かがうまくいかなくなった。
第7回で触れた、
非人間的な知性の前に立つとき、
人間は少し戸惑う。
彼らは、
意味を語らない。
目的を説明しない。
それでも、調和している。
ここで問われるのは、
「どちらが正しいか」ではない。
人間が中心であるべきか、
自然が中心であるべきか、
という話でもない。
問われているのは、
どんな態度で関係を結ぶかだ。
関係を結ぶ、というと、
理解し合うことや、
同意することを想像しがちだ。
けれど、
非人間的な存在との関係は、
そういう形をとらない。
植物と、
「分かり合う」ことはできない。
惑星と、
「合意」することもできない。
それでも、
関係は確かに結ばれている。
光を受け取り、
水を循環させ、
重力の中で動く。
そこには、
言葉以前の関係がある。
人間も、
本来はその中にいた。
感じ、
動き、
環境とずれながら調整する存在として。
けれど、
感じることと動くことを分け、
意味と行為を切り離し、
効率と最適化を進める中で、
関係は、
操作に近づいていった。
操作は、
短期的には強い。
けれど、
長期的には、
相手を壊すか、
自分を壊す。
ここで、
別の態度が立ち上がる。
支配でもなく、
放棄でもない。
理解し尽くすでもなく、
分からないまま放置するでもない。
関係を持ち続ける、という態度。
それは、
完全に分からなくても関わること。
制御できなくても、
距離を測り直し続けること。
一度決めた配置を、
何度でも組み替えること。
この態度は、
弱く見えるかもしれない。
けれど、
生命はもともと、
このやり方で続いてきた。
感じて、
動いて、
外れたら調整する。
成功か失敗かではなく、
生き延びられるかどうかでもなく、
関係が続いているかどうか。
人間が、
非人間的な知性と並ぶとき、
必要なのは、
新しいルールではない。
必要なのは、
立ち位置を固定しない勇気。
中心にも、
外側にも、
ときどき立ちながら、
行き来する存在であること。
関係を結ぶとは、
一度つながることではない。
結び直し続けることだ。
この先に進むなら、
次に自然に立ち上がる問いは、
さらに個人的なものになる。
では、
この態度を、
自分の生き方にどう落とすのか。
この文章は『外縁』に置かれています。
外縁 —— Being Here