Living as a Stance
外縁|星の光が届いているあいだに(09)
ここまで、
境界、観測、心とテクノロジー、
感じることと動くこと、
非人間的な知性、
関係を結ぶという態度、
そうした話を重ねてきた。
そろそろ、
避けられない問いが立ち上がってくる。
では、どう生きるのか。
この問いに、
すぐ答えを出そうとすると、
だいたい失敗する。
正しさを掲げるか、
方法を並べるか、
理想像を示すか。
けれど、
どれも長くはもたない。
ここで扱いたいのは、
生き方というより、
態度だ。
態度とは、
何をするかよりも、
どう関わるかに近い。
成果を出すかどうかより、
どんな距離感で世界に触れているか。
成功か失敗かより、
どんな向きで立っているか。
第6回で触れたように、
生命は、
感じることと動くことで回っている。
第7回で見たように、
世界には、
人間以外の知性が満ちている。
第8回で置いたように、
重要なのは、
支配でも放棄でもなく、
関係を結び直し続けることだった。
それらを踏まえると、
生き方は、
「何を達成するか」ではなく、
「どう関わり続けるか」に近づいていく。
態度として生きる、というのは、
正解を先に決めない。
分かったつもりで閉じない。
役割や立場に、閉じ込められない。
そういう姿勢でもある。
線を引くことは、必要だ。
名前をつけ、
役割を引き受け、
責任を負う。
それがなければ、
社会は回らない。
同時に、
その線にしがみつかない。
線は、
生きるために引いたものであって、
自分そのものではない。
必要なら引き直せばいい。
不要になったら、ほどけばいい。
態度として生きるとは、
この「引く」と「ほどく」を、
自覚的に行き来することだ。
市場原理の中で生きることもある。
成果を出すこともある。
お金を稼ぐこともある。
それ自体を否定しない。
ただし、
それが唯一の物差しになるとき、
世界は急に狭くなる。
逆に、
感じることだけを大切にして、
動かなくなると、
世界との接点が失われる。
態度としての生き方は、
そのどちらにも寄り切らない。
感じながら動き、
動きながら感じ、
外れたら調整する。
それは、
派手ではない。
すぐに結果が出るものでもない。
けれど、
長く続く。
APLFがやっていることも、
突き詰めれば、
この態度の実験に近い。
何かを教えるためでも、
正解を示すためでもない。
どう在るかを、
どう結び直し続けるか。
そのための、
問いと場と、
小さな実践を置いているだけだ。
生き方は、
設計図のようには作れない。
けれど、
態度なら、
毎日、更新できる。
次に進むなら、
自然にこうなる。
では、
この態度は、
日常のどんな瞬間に現れるのか。
特別な場ではなく、
普段の選択の中で。
この文章は『外縁』に置かれています。
外縁 —— Being Here