When Explanation Begins to Dissolve
理解できたわけではない。
ただ、言葉が足りなくなっただけだった。
深層 第Ⅲ部では、
出来事がどのように立ち上がるのかを見てきた。
出会いが起き、流れが生まれ、
辿り着き、役割が現れ、
出来事は個人の時間を超え始める。
そして最後に、
出来事は神話として語られはじめた。
ここで、ひとつの変化が起きている。
説明が、追いつかなくなっている。
説明が届かなくなる地点
出来事は、あるところまでは説明できる。
接続。
位置。
関係。
流れ。
しかし、その連鎖を辿り続けると、
ある地点で言葉が止まる。
なぜこの人生なのか。
なぜこの出会いなのか。
なぜこの時代なのか。
説明は、ここで静かにほどけはじめる。
畏れという体験
人はときどき、圧倒される。
- 大自然の前で立ち尽くすとき
- 星空を見上げるとき
- 歴史の長さに触れるとき
- 人生の偶然を振り返るとき
理解より先に、感情が現れる。
畏れ。
驚き。
静けさ。
言葉にならない感覚。
これは説明ではなく、
体験としての認識である。
情緒は理解より先にある
赤ん坊は世界を理解していない。
それでも笑い、喜び、安心する。
理解は後から身につく。
しかし情緒は最初からある。
私たちは成長し、理解し、説明できるようになる。
同時に、何かを失っている。
説明が増えるほど、
感じる機会は減っていく。
得ることと失うこと
知識は世界を整理する。
説明は世界を理解可能にする。
それは必要であり、大切である。
しかし同時に、
世界の“分からなさ”は静かに後退していく。
驚き。
不思議。
畏れ。
それらは消えたのではない。
ただ、見えにくくなっただけかもしれない。
物語の外側
人生は物語として語られる。
しかし、
すべてが物語になるわけではない。
説明できない出来事。
意味づけできない偶然。
言葉にならない感覚。
物語の外側が、静かに残り続ける。
さらに深い層へ
ここまで見てきたものは、
生命でも、世界でも、出来事でもない。
説明が始まる前。
意味が生まれる前。
言葉が届く前。
それでも、
何かが確かに在る。
この地点から、深層シリーズは最も深い層へ降りていく。
深層シリーズ 第Ⅳ部 ─ 存在へとさかのぼる
意味や時間や境界が現れる前の地平へ