Practice as a Way of Choosing
生き方を考えるとき、
人はつい「何をするか」を探してしまう。
どの仕事を選ぶか。
どの環境に身を置くか。
どのスキルを身につけるか。
けれど、
態度という話をここまでしてきたあとでは、
少し違う問いが立ち上がる。
どう選んでいるか。
選択そのものよりも、
選び方の方が、
長い時間をかけて人生を形づくる。
同じ選択でも、
どんな向きで引き受けるかによって、
意味は大きく変わる。
たとえば、
仕事を選ぶとき。
不安を避けるために選ぶ。
承認を得るために選ぶ。
可能性を閉じないために選ぶ。
表面上は、
同じ選択に見えることもある。
選び方としての実践は、
正解を当てにいかない。
予測できる未来を、
完璧に設計しようともしない。
それよりも、
選んだあとに、
どう関係を結び直せるかを含めて選ぶ。
第6回で触れたように、
生命は、
感じて、動いて、外れたら調整する。
選択も、
その循環の中にある。
だから、
一度選んだら終わり、ではない。
選んだあとに、
関係が続いているかどうか。
そこで、
もう一度選び直せるかどうか。
選び方としての実践は、
決断の強さよりも、
戻る自由を重視する。
戻る、というと、
後退のように聞こえるかもしれない。
けれど、
実際には違う。
戻るとは、
状況をもう一度観測し直すこと。
自分の律や態度と、
現実とのズレを測り直すこと。
市場原理の中で生きることもある。
成果を求められる場に立つこともある。
それ自体は、
避けられないし、悪でもない。
ただし、
選び方が、
「逃げるため」や
「縛られるため」だけになると、
選択は、
自分を狭めるものになる。
選び方としての実践は、
選択を
固定しないことでもある。
必要なら、
一時的に全力でコミットする。
必要なら、
距離を取る。
必要なら、
やめる。
どれも、
失敗ではない。
大切なのは、
その選択が、
感じることと、動くことの
循環を止めていないか。
選び方は、
一回きりの決断ではなく、
連続する姿勢だ。
だから、
派手な成功談にはなりにくい。
けれど、
気づくと、
疲れ方や、戻り方が変わっている。
選び方として生きる、という実践は、
自分の律を裏切らず、
態度を失わず、
現実と関係を結び続けることだ。
次に進むなら、
さらに具体的なところに降りられる。
お金、成果、投資と回収。
価値が数値に変換される場面で、
この選び方は、
どう立ち上がるのか。
この文章は『外縁』に置かれています。
外縁 —— Being Here